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feel the love




爽やかな風が新緑の木々を揺らす季節。夕方には少し早い時間。緑に囲まれた学び舎に今日一日の終了を終える鐘の音が鳴り響いた。其々の思いを抱えた放課後が始まる。そして、この校舎の一角にある窓辺は頬杖をついた学生ではない男の姿があった。暗い色をした髪を一つに束ね、これまた黒っぽい上下の服装に白衣。一見すれば、怪しい、の一言で尽きるも、この学園の教師──レイヴンだった。

そんなレイヴンから、はあっと大きなため息。そんな嘆きに似つかわしくない五月晴れの青空が広がっていた。

大体、なんで二十も下の子供(ガキ)に、こんなに悩まされるんだ。
教師と生徒。それ以上、それ以下でもない関係。その子供(ガキ)とは、伝統名門校の中では、浮いた女生徒。頭の良さから弁も立つ故に変人とありがたくない称号を持つも、本人は一向に気に素振りもなく。そんな鼻っ柱の強さは、からかうには丁度いい存在──だった筈。
それがいつしか、気の置けない生徒から女生徒と変化の兆しを見せ始めたのは、二回目の春を迎えたからだろうか。
頭の回転の良さから、冷静に筋の通った意見を述べる時があるかともえば、時折見せる年齢相応の寂しげな瞳や嬉しそうな笑顔。そんな不釣り合いで複雑な面を垣間見せられ、レイヴンは一教師として女生徒を見ているのではないと気が付かされた。それを、寸での所で踏みとどまっているのは、その女生徒が今は三年生。今年一年だけ、我慢すれば、と邪まな思惑がむくりと鎌首を持ち上げる。

──いやいや、何を考えてるんだ。

倫理観や世間体、そんな事よりも一番は彼女がどう思っているかが問題だった。しかも、三年生だろうが、このまま彼女が卒業してしまえば、そこでジ・エンド。後は、卒業生と恩師とでも呼べる関係が続けば、恩の字だろう。そう考えた時、ちくりと胸が痛む。恋煩いなんていう柄じゃねーのに、なあ。

「何、ため息なんかついて、おっさんの癖に」

突然、背後からの声に心臓が止まりそうになる。声の主は気配を完全に消していた訳でもないのに、随分、考え込んでいたらしい。ほんとに、どうしちゃったのかね。俺様らしくない。

振り向けば、制服のチェック柄をしたスカートから伸びる足が見え、白いブラウスの上には濃紺のカーディガンは学校規定のものだが、小柄なせいか些か大き過ぎる。その足を、やや細いといよりも細すぎるんじゃないかと時折思うのは、随分、自分からの好みとはかけ離れているからだったためなのか。それとも、同年代の女子生徒よりも若干小柄な体を心配してのことなのか。
そして、出会った頃よりも長くなった髪。
どういうつもりで伸ばし始めたのかは、解らないが、はねた髪はふわりと弧を描いて、肩口から流れ落ちている。時折、一年の頃よりも変わったなと思う時もあるが、そう変わっていないと思う時もある。ぼんやりと、そんな考えが浮かぶも、やや、雲行きが怪しいと感じた視線の先、腕組みをしながら眉間に皺をよせて仁王立ちで立つのは、その悩みの元凶の子供(ガキ)であり女生徒──リタ・モルディオが居たからだった。

「何時から居たの?」と問えば「さっきから。中年たって、まだボケ始めるには早いわよ」と労わりの言葉が投げかけられる。

他に人が居ないと思えば、随分と酷い言いグサだろう、と思うのだが、これはいつもの挨拶。彼女が、こ教師としての職員室以外の居城である準備室を訪れる時の挨拶だった。これもほぼ三年間繰り返された光景。

「邪魔だから、そこ退いてよ。おっさん」
「リタっち酷い。一応、先生って呼びなさいよ」
「だから、人がいる時は呼んでじゃない。レ・イ・ヴ・ン、せ・ん・せ・い」

ずいと近寄ってきたと思えば、少しだけ艶かしい甘えた声が耳朶をかすめる。一瞬、ぞわっとしたのは寒気ではない。いつの間に、そんな声色を覚えたのかと、二の句を継げない。動揺を悟られまいとするも、一拍の空白を彼女は見逃さない。

「おっさん、最近、変よ?なんか拾い食いでもしたの?」

何時もなら、「酷い」と言いながら反撃の言葉を待っているリタは更に不審げな表情浮かべている。これぐらいで動揺を見せる筈のない男に。それとも、これは新たな作戦の一種なんだろかと訝しい顔付き。

「あ、いや。なんでもないわ」
「ふーん。それなら、いいけど……」

納得できる答えなんて期待してない、と。言葉を噤んだ。この生徒に対してこの教師有り。お互いに何か触れてはいけない聖域のような物に気がついたのは随分前だったのか、それとも最近だったのか。ただ、少しだけ居心地の悪さを覚える。ただ、彼女はそこまで深く思考を巡らす様子でもなかった。

さもすれば、鬱蒼とした気分にも落ち込んでいる教師を傍らに、彼女は嬉々として新たな実験を思い付いたからと何やら準備を始めていた。そんな彼女の後姿を見つめながら、何気ない会話を、普段のように振る舞おうと立ち直りの言葉を掛けていた。

「そういや、リタっち。どーすんの。担任、泣いてたわよ。いい加減決めないと、困るのよ。こっちも」
「何が?」と言われて、「進路」と即答。リタの表情が一瞬、曇ったような気もした。

「おっさんは、どうしたらいいと思う?」

これもまた、どこで覚えたんだと、困惑させる上目使いに、何か様々な思惑が隠れているように思えた。




「俺を首にしたいのかねえ」

台所の隅から、香ばしい香りが立ち上がると、マグカップを二つ用意。濃い茶色の液体を注ぎ込む、と、「そういえば、あったかな」とレイヴンは滅多に使わないであろう砂糖を探す振りをしながら、ボヤくという割には口角が緩みそうになるのを必死で押しとどめている。ここは二人だけの部屋ではなかった。男の住処と言えば聞こえがいいが単に、駅前近くの単身者用のアパートだった。最初、話の続きがしたいと言い出したのはリタからの方。明日にしてと言うのを無理やりついてこられたのが最後。足元に纏わりついてくる仔猫を無碍に追い払う勇気はなかった。

「別に首になるような事しなきゃいいんじゃない?」
「それって、なんだろね」
「殴られたい?」

リタ自らから「個別に、部屋で話したい。学校じゃ話せない」と言い出した。それが、どんな意味をしているのかとレイヴンは考え込まされる。普通、女が男の部屋に行きたがるなんて、どういう意味をしているのか分かっているのか、と。ただ、リタ自身、そんなレイヴンが思うような思惑すらないだろう。今だって、抱えていたクッションを投げる真似をした。やや潔癖なのか、異性、男女間の話題には、顕著なまでに反応を示す癖。少しだけ赤くなっている頬を見て思う。以前は、綺麗な白く細い首筋は、レイヴンのそんな考え打ち消すように隠している。

気がつけば、随分、髪も伸びたなと思った。

ほとんど手入れもしていないような無造作なボブスタイルから、今はもう膨らみの一番高い位置まで伸びている。鳶色の柔らかな髪質は伸ばし始めてみるとそう癖もなく、リタの性格そのものを表現しているようにも思えた。なぜ髪を伸ばし始めたのか訊ねた事があったようにも思うも、「別に。あんたに関係ない」と素っ気ない返答されたのは、随分前だったのか、それとも、最近の話だったのか。

「はい、コーヒー。砂糖は三杯だったよね」

お互いに好みは知り尽くしてるから、こそ。はい、と手渡されたマグカップを小さな指が包んだ。

「ココアでもあれば良かったんだけどねえ」

いきなり来るなんて言い出すからさと、笑いながらそう呟いてみるが、彼女はど受け取ったのだろうか。神妙な顔付きのまま、一口だけ、口をつける。そして、ことり、とマグカップをテーブルに置いた。

「さっきの話しの続きなんだけど……」

準備室での会話は、あの場面で中断された。リタがレイヴンに答えを求めようとし、レイヴンも答えようかと思った瞬間、第三者のリタを探す声が二人を押しとどめていた。真っ先に、安堵したのは、レイヴンの方だったかもしれない。

「ん?ああ、進路ね」
「うん。本音言えば迷ってるとこある。じゃあ、別の大学行きたいかって言われると、そうじゃないし……」

学園は大学部も併設されている。リタの今の成績なら、余裕で内部進学は大丈夫だったが、周囲からは、更に上のランクを狙ってみてはどうだという声が無くもはない。
リタにしてみても、素直な本心だったろう。学園自体、ハイクラスなレベルに位置付けられているが、それ以上の所もある。それは、何時になく重く沈んだ真剣な声の様子からも分かった。だが、そのまま、次の言葉が見つからない。沈黙が二人を包むと同時に、何か触れてはいけないという警告も孕んでいたかもしれなかった。逡巡するかのような、その時間を止めたのは、レイヴンの方からだった。

「俺はさ、リタっちの好きにしたら良いと思うけど。今の成績なら、大半のとこ大丈夫でしょ」

レイヴンには珍しく、淡々と、素っ気無い抑揚のないトーン。リタの表情が硬くなるも、レイヴンはそれをあえて無視をすることで無関心を装う。ずるいやり方だと思う。突き放すようで心配を存外ににおわす。処世術に長けた大人だからこそ出来た技かもしれない。が、相手は違う。そこまでの思惑を受け取ってくれるのだろうかと一抹の不安。そして、諦めがレイヴンに纏わりつく。

「……好きにしたらって、なによ。その厄介者がいなくなってせいせいするみたいな言い方」

ああ、やっぱり怒らしてしまったかなと後悔。リタの声に浮かぶのは、完全な苛立ちを覚えているかのような色。

「そこまで酷い言い方はしてない、けどねえ」
「同じじゃない」
「どうして、そう取るかなあ。だって、リタっちも別のとこ行きたい気持ちもあるんでしょ?」
「だから、そんな風に言ってないってば」
「だって、今、言ったし」
「何よ、少しぐらい相談乗ってくれても良いじゃない」
「相談って言われても、さ。せいぜい、おっさんは、どこの大学が良いとか言うぐらいしか出来ないよ」

これでいいんだと想いと、何か違う想いが交差するも、そのもう片方には蓋をした。迷っているなら、このまま手元に残すやり方もあるだろうが、今は、教師と生徒という関係性だけで繋がりを持てない。それこそ、リタの好きなように、どんな場所にでも行けるように示してやることしか、今のレイヴンには出来ない。

「それに、ずるいってねえ。いきなり押し掛けてきたと思ったらさあ……」
「……あたしの事、心配、してくれないんだ」
「あー何。リタっちては、おっさんに心配して欲しいの?」

言い淀みながらも怒ったような口調がレイヴンを責めた。だが、ニタニタと敢えての憎まれ口。ただですら、二人っきりの部屋。余計なひと言でこれ以上、リタを追い詰めたくはないのに、つい、日頃のやり取りの延長。何時もの調子でやり返してくるだろうと思っていた。

「……あんただけは、おっさんだけは違うと思ってたのに!」

思いがけない強く鋭い口調に、発した彼女ですら驚いているようだった。すぐさま顔を小さな両手で覆いうずめてしまう。細い肩が震えている。押し黙ったまま俯いた。想定外のことには慣れている筈だったが、これは思いの他、レイヴンにを困惑というよりも動揺に近い痛みすら与えた。

「違うって、何を……?」

期待してもいいのか?と思う反面、自分の言動が彼女を傷付けたのかもしれないと言う不安が鋭く突き刺さる。

「リタっち。どうしたの?」

常のふざけた口調ではなく、穏やかで優しい声色。衝動的に、そっと彼女の座る傍らに膝まづくと、髪を撫でた。

「……え?やだっ」

レイヴンの行動に驚いたのか、面をあげてみせて瞬間に絡みあった視線の先、一瞬だけ垣間見せた、怯えた様な傷ついた様な視線が男に投げつけられた。だが、それはすぐに違う色を見せる。

──泣いてるのかと思った。

強がりだけは一人前な彼女は、ありありと怒りを含んだ瞳で強く睨み返している。ただ、これ以上、触れてしまえば、何かを言えば、その怒りは一転して別の感情をあふれ出しそうな気配がある。

その様子が酷く、胸に突き刺さる。不安で不安で堪らない、何かに縋りたいように握りしめた拳が白く震えている。俯くリタに、はらはらと髪が流れ落ちる。まっすぐで彼女の直情的な性格そのものだったのかもしれない。何度か撫でるも、レイヴンの指先から零れ落ちてはリタを庇うかのように見えた。髪すらも、今の彼女のように触れることすら拒絶しているようだった。

「もう帰りなさい。途中まで送って行くよ」

遠くの方で夕刻の時間を告げる音が聞こえてくる。このまま、夜を迎えるには危険過ぎる関係。そうでもなくと教師と生徒という関係性がある以上、ここにいてはまずいと考えるのは普通のことだったのだろう。だが、男の思惑すら翻弄する言葉が彼女の口がこぼれた。

「やだ。帰らない」
「は……?何言ってんの?」
「帰らないったら、帰らないの」
「リタ……」

何を考えてんだろ、この娘は。

教師とは言え、男の一人暮らしの部屋に押し掛けて来たかと思えば、今度は「帰らない」発言。
分かっていながらも分かってないふり。ずるいのは、確かに自分だ。ただ、ストレートすぎる想いを受け止めるには、まだ時間が足りない。

「……おっさんは、あたしのこと何とも思ってないの?あたしは……おっさんのこと」

今触れてはいけない。と頭の片隅で警告音がしている。ああ、もう煩いな。毎日、顔付き合わせて、他愛のないやりとり。教師と生徒、そんな関係に終止符を打ちたいのは、どっちなんだろうと思う前に、彼女はそれを、今、告げようとしている。

「リタっちは、生徒だよ。それ以上でも、それ以下でもなく……それに、リタっちとおっさんなんて二十歳も歳が違うんだよ?リタっちは、これから、いろんな出会いがあって経験していくんだから、リタっちが今おっさんに抱いてる気持ちなんてちょっとした麻疹みたいなもんだよ」

リタの言葉を止めたのは、レイヴンの方だった。リタの想いは真摯なまでに素直で、そして、レイヴンにとっては残酷だったのかもしれない。子供と大人、少女と女性の中間。どちらともつかない境界線に惑わされる。大きく見開いた瞳は、あどけなさを残しながらも、その頬に掛かる鳶色の髪は、柔らかな曲線を描きはらりとこぼれた。毎日、見ていた姿なのに、レイヴンの知らないリタがいたようにも思えた。

「……あたし、一人で……バカみたい」

何かを諦めたような顔をして、大粒の涙がこぼれた。止められないのか、止める術を知らないのか。あまりにも剥き出しの感情が痛い。ぎゅうと締め付けられる。

「リタ……」
「触んないでよ」

その手に触れられたら、もう、涙は止まらないからと、あふれ出る感情を止める方法を知らない少女なりの精一杯の身を守る術。

「……おっさん、なんて嫌い。大嫌い」

弱々しく呟かれた言葉は、完全な拒絶。レイヴンが触れようとした手は空を掴んだ。


抱きしめていたら何かが変わっていたのだろうか。「俺も」と答えたなら、彼女の気持ちに応えたなら何か変わっていたのだろうか。

つい今しがたまで少女が座っていた空間を見つめてそう思う。変えてきたこと、変えられなかったこと。何が正しくて、正しくないのか分からないままレイヴンは窓際に立つと、夜の気配に混じって雨が降り出していたことに気が付いた。窓を開けて、ベランダに出ると、そっと手を差し出した。冷たい雨が掌を覆うと指の隙間から毀れて行く。
我ながら感傷的過ぎる行動に自己憐憫の情すら湧きあがってきた。

本気で欲しい癖に、いつも、何かしらの言い訳をつけて、何処かで諦めては失ってきた。そんな男を嘲笑う声が聞こえた。



降り続く雨は夜半まで続いていたようだった。

雨は数日、降っては止みの繰り返しを続けていた。梅雨入りにはまだ早い季節だというのに、曇天続きは、それでなくとも、嫌な気分に浸りがちになる。

リタが、雨が降り始めた翌日から、学校を休んでいると聞いたのは、保健室の主にして学園一の美女ともいえる教師からだった。

同じ白衣を着ても、小柄な彼女──リタとは違う。その中身が変わるとこうも違うのかと思わせる肢体。女性らしいハッキリとした曲線。教師らしくきちんとした身なりからでも漂う色気のようなものは溢れんばかり。当然、男子生徒からの羨望の眼差しを向けられるのは日常だったが、それは、女子生徒からも人気があった。同じ性でありながらも完璧なまでに圧倒される美人というのは、嫉妬に駆り立てるよりも憧れというものを先に抱かせるのだろう。

そんな事を考えている男に「心当たりがあるんでしょう」という視線が痛く鋭く突き刺さった。

「あ、休んでたの。どーりで放課後来ない筈だわ」

いや、しりませんけどねえと嘯いて見せるが、どうやら、それも虚しい努力だったのかもしれない。いつもなら軽口をたたきながら乗って来てくれる筈の同僚は、眉一つ微動だにせずいた。その眼には、何か咎めるような険しさすら漂わせているのは気のせいではないだろう。この同僚がリタを一生徒以上に気を掛けていたのは知っている。それは、教師と生徒というよりもどこか姉が妹を心配するかのような思慮とでもいうべきなのか。

「風邪引いてるって、連絡あったわ」

素っ気ない言い方がそれを伝えている。なんとく見る者によっては、冷たく聞こえるようなほどだった。冷やかな眼がレイブンを射抜く。その美貌が全面に押し出されるためか気が付く者は少ないが、好戦的でありながらも理知的な眼差しは、どこかリタにも通じるところがあるだけに、少しだけ胸がざわつく。

「ほう、それは大変だ。夏風邪は長引くからねえ」

しかし、あえてこちらも無関心を装うのは、鋭い勘を持つ同僚に気がつかれたくないから。敢えて、大仰に知らぬ存ぜぬを決めてかかろうとした。早くどこかに行ってくれないかなあと思いながら、次の手を読もうとした瞬間だった。先手を仕掛けてきたのは、やはり、保健室の美女からだった。

「おじさまって、本当に好きな子ほど意地悪するタイプなのね」

にこやかにそういってのけるジュディスの表情は、普段通りの気兼ねすることのないような笑顔。

「あれから、連絡ないの。担任も困ってるから、あなたにお願いするわ」
「へ?」

間抜けな声を出した男に、学園一の美女は、その誰もが身惚れるほどの笑顔を浮かべていた。その笑みがレイブンにとっては、悪魔以上の悪魔にも見えていたが。





「……何で俺様が」

手渡されたメモ用紙には、生徒の住所録から抜きだされた住所。誰が住んでいるかは一目瞭然。そして、それを頼りに訪ねた場所は閑静な住宅街。瀟洒な戸建てが立ち並ぶ場所は、駅前から離れているせいだろ、人のにおいがしない場所だと思った。それなりに人が住むと言う場所は、雑多なにおいが入り混じるものだが、この場所は、そんな気配がしない。その一角の中、更に何か人が住むにはあまりにも無機質過ぎるマンションの前で立ちつくしかなかった。

ウロウロするにも不審者扱いされ通報されるのが落ちだと、腹を括り決めたのはいいのだが、やはり、同じような扉が立ち並ぶ前で、憂鬱な気分が襲う。以前、両親が居ないと言う話は聞いていたが、なんで一女子高生がこんなとこ住めるんだかという疑問も残しつつ、インターホンを鳴らす。本来ならエントランスで暗証番号を打ち込んで入るらしい。ある程度セキュリティはしっかりしていそうなマンションだったが、どこでどう調べたのか。メモにはその暗証番号まで書かれていた。

一、二度ほど鳴らしてみても応答は無い。

どうしたもんかねえと思案すると同時に三度目のインターホーンを鳴らしてみた。それも、連打のおまけつき。早鐘のように打ち鳴らされたインターホンは既に騒音の域にまで達しようかとしている。

「リタっち居ないの〜?レイヴン先生ですよ〜。まさか、倒れてるんじゃないのかなあ〜?おお、そうだ。救急車呼ばないとなあ〜」

あえて大きめの声と完璧なまでの棒読み。彼女が自宅にいることはとっくに分かっていた。ドアの前に着いた時、ちらりと電力メーターが動いているのは確認済み。暦の上では春の終わりだというのにやや湿度を含んだ生ぬるい風が吹いている今日などは、湿り気を帯びている。高層階にある部屋ならクーラーでも付けていなければやり過ごせない。

「分かったわよ。生きてるから、こんなとこで叫ばないでよ!」

勢いよく開けられた扉をひょいと避けると、怒りなのか、頬を赤く染めたリタが立っていた。
デニム素材のショートパンツからすらりと伸びる足。極力体のラインを出さないほどの大きめのパーカーを羽織った姿。上下のアンバランスさに子供っぽさだけではない何か色気に近いようなものを感じる。制服姿ではないその格好に一瞬だけ良からぬ考えが浮かぶのは、男の悲しい性なんだなあと改めて思い知らされる。更に、今しがた風呂に入ってましたと告げるのは、リタから零れる香りと緩やかに纏められた髪が更に要らぬ妄想を掻き立てられてしまったのは、情けないような気分にも陥りそうになるも、奮い立たせたのは教師としての役目。

「あ、もう風邪大丈夫なの?」
「……っ。お、おかげさまで」
「ふーん」
「な、何よ。ふーんって」
「いや、元気そうだから帰るわ。明日は来れるでしょ。そん……」

そういって振り返ろうとした瞬間、強く引っ張られる衝撃を感じた。鞭打ちにでもなったらどうしてくれるの。おっさんいい歳なのよと振り返る。絡み合う視線に、縋るような眼がレイヴンを捕えている。

「あのーシャツ、破れちゃうよ……」

またあの時と同じ顔してるよ。見ないふりをしていながらも、シャツの裾を握りしめた指先が微かに震えている。

「お、お茶ぐらい出すわよ。せっかく来たんだから……」
「そう?ただねえ……」
「オッサンにこんなとこでウロウロされる方が迷惑なのよ!」

悲鳴にも似た声と最後まで掴んでは放そうとしないシャツの裾に、やれやれとため息を吐くしかなかった。




「案外、小奇麗にしてんのねえ」

ダイニング脇にあるソファに腰掛けると、ほうとつい感心したような声が漏れた。
じろじろ見るな、変態と何やら罵声が聞こえたが、つい好奇心の方が勝っているのか、しげしげと見てしまうのは悪い癖なんだろう。女子高生が一人で住むにはやや広いというよりも広すぎるマンション。何のインテリアらしきものもない白い壁が、更にそれを物語っている。あちこちに積み上げられた書籍の類とは反比例して最低限の生活スペースに置かれた家財道具もあまり生活のにおいが感じられない。

「きちんと食ってんの?」

そんな言葉が出てしまうのは、当然のことだったのだろう。ただ、彼女はそれをどう捉えたのかは分からなかった。

「この間、エステルがお見舞い、来てくれたから」
「ああ、なるほど。嬢ちゃんがね」

彼女の唯一の親友の名が口に出た所を見ると、風邪をひいていたのは本当のことだったのだろう。キッチンの横に備え付けられたゴミ箱には、レトルトの食品袋と風邪薬の包み紙らしきものが捨てられるのをさっと見逃しては無かった。

「ジュースとか甘いのしかないから、本当にお茶だけしかないわよ」
「あ、うん。ありがと」

可愛らしいマグカップに注がれたお茶を一口だけ含んでは、同じようなマグカップを両手に抱え込んで、対面に座ろうか、どうしようかと悩んでる少女を見上げた。

「座らないの?」
「あ、あたしの家なんだからどこに居たっていいでしょ」
「別に襲ったりしないわよ」
「おっ、襲うって、やっぱり、変態!」

虐めすぎなのも悪い癖だと思うも、この軽妙なやり取りを手放したくないのは、やっぱり我儘過ぎるのだろうか。彼女の想いを知りながらも、まだ、どこかで逃げようとしている。それとも、この関係性に終止符を打つべきなのか。そうなった時、どうすればいいのか。どうしたいのか。

「な、何よ。学校は風邪引いたって連絡いれたっていうのに、どうして、あんたが来るのよ」

ふと思考を止める。彼女の声によってそれが遮られた時、なんともいえない居心地の悪さが二人を包んでいることに気がつく。こんな空気なら、早々に帰れば良かったと思うも、玄関先でのやり取りがあまりにも儚く脆いようにも見えてのこのこと上がり込んだ自分への罰なのだろうかと考えさせられる。

──どうしたもんだかねえ。

こんな気持ちすら湧きあがせる彼女、リタに少しだけ苦笑いが浮かんだ。それ相応の経験、いわゆる男女の仲も経験してきている。それこそ、若い頃などは感情よりも本能的なものを優先してきた。吐き出すだけの剥き出しの感情。それが相手にどんな影響を与えたかなど気にも留めなかっただろう。若さというよりも一つの驕りにも近い感情だったのだろうか。

「何か言いなさいよ。ずっと黙ってばっかりで……」

沈黙に耐えきれないのか、痺れを切らしたのはリタの方だったらしい。きゅっと結んだ唇。長い睫毛が被る瞳は少しだけ潤んでいるように見えた。心なしかその大きな瞳が更に大きく見えるのは病み上がりがさせているのか、肌の青白さまでも妙な色香を漂わせていたことに、毒付いても見せる。こんな場面じゃなければ、襲ってしまいそうだよ、と。

「おっさん、リタっちのこと傷つけたね」

謝るべくでもなく、ありていのまま、事実を述べる。抑揚のない声は一瞬誰が告げたのだろうかと自分自身でも驚くほど、無機質に部屋に投げ出された。時にして言葉が何の意味を持たない、むしろ、その感情の迷いが相手を傷つけることも知っているのは、年嵩な分だけ、経験していること。
言葉を発することで何かを失うのなら、ただ、事実だけを告げる事が、今の彼女の傷を少しでも軽く済ませる。

「傷ついてなんか……」
「だったら、どうして学校来ないの?」
「そ、それは、本当に風邪ひいたし……」
「なら、どうしておっさんに連絡してくれなかったの?」
「……おっさんに連絡しなくてもいいでしょう!」

本当に、とリタは知らずに言っていたが、やはり、それはレイヴンと会いたくないと言っているのも同じだったろう。

「おっさん、こんな言い合いしをする為に来たんじゃないけどね」

良いから、座んなさいと目配せをして、彼女を座らせた。何か普段とは違うものを感じたのか、大人しく促されるままに、リタはペタンと壊れたマリオネットのように座り込む。だが、落とさないようにとしっかり抱え込んだマグカップに力を込めて座ったリタは、またも拒絶するかのように俯いたまま。

重苦しい雰囲気は変わらないままだった。

まっすぐな瞳で見つめ返してほしい。そして、誰にもその瞳に映し出してほしくない。そんなことは随分前から分かり切っているのに、ずるいだけの大人になってしまった自分には、欲しくても手が出せなかった。余りにもその存在が眩しくて、失う事を恐れている。

──ああ、俺ってこんなにも欲しがってるんじゃないの。

感情の赴くままの小さな子供ならどんなによかっただろう。それこそ、若い頃のように激情に溺れたまま突っ走っても良かったんじゃないの、と。

カタカタと震えそうにまで凍り固まった指先に触れた。一瞬だけ、硬くする身体の振動が指先を伝って来る。随分と汚れてしまったような節くれだった男の指先は、優しくその小さな指先をほぐしているかのように絡み合っている。拒絶してくれるなら、してくれてもいいと思うが、彼女はそれを許している。

「……何よ、今更。それ以下でも以上でもないんでしょ、あんたにとってあたしは」

可愛くない答えが帰ってくるのは想定内。少しだけおどけて苦笑いを浮かべると、泣きそうな顔がそこにはあった。きゅうと心臓が締め付けられた。彼女にこんな表情を浮かべさせた自己嫌悪。もう少し言い方があったのだろうと後悔が先に立つも、それは結果論でしかない。少し、この少女をかい被り過ぎていたのか、それとも、普段のように軽口をたたく仲の気安さに胡坐をかいていた罰なのか。

「……優しくしないでよ」

また繰り返すのだろうかという絶望にも似た気持ちがその大きな瞳に浮かんでる。拒絶したいのなら、さっさと楽にして欲しい。こんなからかいにも似た気まぐれな行動に翻弄されるのはまっぴらごめんだと訴えてきている。
大人の駆け引きなど、出来ない。いくら聡明な頭脳があるにしても、感情までは、それを助けてくれる術は持たない。
リタ自身もただ純粋なままで、誰かを好きになると言うことを認めたとしても、意地っ張りな感情はそれを邪魔する。明晰さに長けたとしても、自分の心までどうしようもできないのは、誰でも同じだろう。

「そんなつもりじゃない……けどね」
「あんたなんてっ……」

そうい終わらないうちに、それまで触れていた指を払いのけると、勢いよく立ちあがる。こんなみじめな感情に振り回されたくないと、その場から、この空間から一刻も逃げ出したいと思う瞬間、それと同時にリタを包み込む腕があった。
猫背気味の身体からは信じられないほどの強い力。普段なら意識もしていないその腕は思いのほか、男であり、自分とは違う遺伝子を持つ者だと思い起こさせた。そして、少しだけ感じる得体のしれない恐怖。そんなものも見透かされそうで悪あがきのように強くその胸を押し返そうとしている。

「……やだっ。大声出すわよ」
「いーから、最後まで人の話聞きなさい!」

小柄な体はすっぽりとその腕の中に捕らわれている。何やら反撃しようとしているのだろう。もごもごと蠢くが、そこは男女の差がありありと浮かび上がっている。レイヴンも珍しく感情的だったのか、思いのほか、大声だったのか、ぴくりとしてその動きが止まる。

「どうして、この娘は先走るんだか」

やれやれと大げさに吐くため息。胸元にすっぽりと埋まっている身体が、少しだけ柔らかな曲線を帯び始めていたのはいつの頃からなのだろう。毎日見ていた筈なのに、いつの間にか少女は大人になっていた。

「おっさんがいくらリタっちの気持ち知っても手出し出来ないの分かってるでしょ。リタっちは、まだ高校生なんだから、さあ」

ポンとその小さな背中をやさしく落ち着かせるようにして触れた。それは同時に、分別を付けて見せる素振りだが、認めてはいない感情に降参した瞬間。

「だって……」
「人の話は最後まで聞く」

「分かったわよ……」と小さく漏れる声まで愛おしい。多分、真っ赤になっているのは想像できる。緩くまとめられた髪から覗くうなじにほんのりと朱色が浮かび上がっている。

「リタっちが、卒業して、どこか別のとこ行くのにも反対はしないよ。おっさんにそれを止める権利は無いけど、ただ、ね。よく聞いて欲しい」

ふうと大きく深呼吸。

「その後でもいいから、ずっと傍で居て欲しいってこと。生徒としてじゃなく」

ああ、言っちまったよと後悔するのは照れ隠しなんだろうと自己分析。こんなムズムズするような感情なんて、もう何年も持ち合わせていないと言うのに、一体、どうしてしまったのだろうかと困惑もどこかでしている。

「……それって?」

腕の中で小さな声がしている。震えているようにも聞こえるか細い声は、普段からの彼女からは想像出来ないほどだった。震えるような瞳にレイヴンが映し出された。綺麗な目をしているとレイヴンは思った。曇り毛のない、真っ直ぐで、ただ、その倦む事無い故に傷つきやすい繊細な瞳。

「……愛してる」

リタが見たレイヴンは、もうね、おっさんに何いわせんのさと目が泳いでる。照れる素振りではないが動揺は手に解る程。ただ、リタ自身、驚きの方が大きいのだろうか。そんなレイヴンが見せるものよりも驚きの方が強かったらしい。

「……嘘」

好きといわなかったのは、彼女の存在が生徒ではなく、一人の女性として見つめていたから。そう気が付かされていたから。

「嘘ついたってしょうがないでしょ?ずっと前からね。リタっちには気が付かれないように、おっさん必死だったんだからねえ」

抱きしめていた腕を緩めると、少し半歩だけ後ずさるようにリタは離れた。
まだ信じられないという戸惑いを浮かべたまま。

「おっさんだって色々考えてたのにねえ。後、一年もないのに。こんな騒ぎ起こさずに済んでたんだから」

何時かは離れて行くのなら、自ら手放していた方が傷は軽く済むという狡猾な考えは彼女には通用しなかったのだろう、と一人ごちる。あまりにも剥き出しでストレートな感情に翻弄されるのは滑稽だったが、腹を括るには良い相手だった。
こんな相手、これからどう探したって見つかりっこない。

「大騒ぎって、あたしがなにしたって」
「おっさんのここ、随分、引っかきまわしてくれたんだから」

親指を立て胸を付く仕草をして見せる。多分、それ以上に彼女の方がずっと苦しい想いを抱えていたのかもしれないと思うと、少しだけその部分が痛んだ。

「まあ、そういうわけだから卒業したら、エッチとか思う存分させてね」
「エッッ、エッチってね!」
「だって、そおでしょ?健全な男女がお互いの意思疎通が出来たとなれば、ねえ。それに、リタっちもおっさんのこと好きなんでしょ?」
「う、うるさい。このエロガッパ!」
「もお、リタっちってば純情なんだからあ……いってえええええ」

抱きしめたいと思い近づいた時、鋭い痛みを頬に感じた。何やら興奮気味の彼女から小気味よく飛んできた手に油断し
ていたのか、完全に避け切れないまま、諸に直撃を受けた。

──まあ、これでお相子かなあ。

ひりひりとする頬がやがてじんじんとした痛みと共に熱を帯びてくる。彼女が、この数日に抱え込んでいた痛みに比べたらこんなものではないだろうと思う。当のリタといえば、まだ興奮冷めやらぬ様子でレイヴンを睨み付けている。




「……痛かった?まだ、痛む?」
「うん、ちょっと、まあね」

「はい」と渡されて濡れたタオルを頬に当てると、意外に力あるんだよなあと思う。こりゃ、明日はもっと腫れるかもしれない。ご丁寧に爪が伸びていたのか、三本の蚯蚓腫れのオマケつき。これ、どうやって誤魔化そうと思うも、何人か、特にあの保健室の同僚などはかくも簡単に見抜くだろうなと考えると、少しばかり気が重い。しかも、一つ間違えば、下手な誤解まで与えかねない。それでなくても、余り自分自身の評判が良くない事は重々に承知している。身から出た錆はいいのだが、リタがその噂に付き合わされるのはあまり心よろしくない。いつもの彼女なら、そんな事と一笑に伏すのは目に見えているのだが、余りにも禁断の恋とでもいえる関係性は、今はまだ始まったばかりで他人にはとやかく言われたくない。

「……ごめんなさい」

しおらしく見せる姿は、思わずドキリとしてしまう。何時もなら、ウルサイだのヘンタイだの悪態しか返って来ない。
額に掛かる前髪が、目元を隠すかのように項垂れる。伏目がちに見つめる視線。柳眉な目元から、すっと通る鼻筋、そして、化粧もしていないというのに、小さめの薄紅色をしたぷっくりした唇。

──無防備過ぎるのも酷だわ。この娘、自分がどう見られてるなんて解ってないだろうなあ。

幾ら経験値がないといっても、こんなな姿。どんな男だって、こんな姿、騙されてしまうよ。触れてしまいたいという衝動を抑えるのも必死だ。

「大丈夫だから。まあ、何か言われるのは慣れてるし」

あまりにもしょげ返った姿に心が痛い。気にしないでというつもりで言った筈なのだが、余計に追い込んでしまったことにレイヴンは気がついていない。

「……リタ……っち?」

所在なさげに座りこんでは、見つめる視線が心配そうに見守っているが、やがて、頬を抑えている手にリタの手が添えられると、ゆっくりとではあるが、確実に何か明確な意思を持った瞳がレイヴンに近付いてきた。
その行動がなにを意味するのか理解するに幾許かの空白が生まれた。

思考停止。

しなやかな指が両頬を包んだと思った瞬間、唇に何やら自分ではない柔らなか感触があった。それは、泣きたくなるほどの優しい口付け。本当に、唇が触れるだけの、まだ、幼いキス。リタなりの意思表示。時間にすれば、ほんの数秒だったかもしれない。だが、レイヴンにとっては永遠に続くかと思うような時間だった。

「え……は……?今のって……え?」

動揺を声に出し、やや虚脱状態から脱出してみれば、熟れたトマトのようになったリタがそこにはいた。「目ぐらい瞑りなさいよ、バカ」と視線を逸らす。微動だに出来ない。あまりにも突然な、予測不可能な彼女の行動。気まぐれな仔猫のような彼女に翻弄されっぱなしじゃないの。情けないねえと思っていたのだったが、それ以上に驚いた表情は間抜けなものだったのだろう。

「……なにバカな顔してんのよ」
「リタっちったら大胆」
「うるさい!今日は特別。あたし、そんな簡単に手に入らないからね」

真っ赤になったリタは、もう知らないとばかりに慌てて離れようとしたが、重ねられた手は強く彼女を引きとめていた。
そして、ゆっくりと引き寄せては、抱きしめる。抵抗せずに身体を委ねられ静かに目を閉じたリタの顔を盗み見た。
胸の中で身を委ねてくれる信頼しきった顔に愛おしさが募る。こんな想い、もう永遠に巡ってくることなど思ってもいなかった。もし、彼女が最後の希望であるなら、息絶える瞬間まで、この瞳を見つめていたいと強く願う。



ただ、翌朝、保健室の美女からは、「あら、随分可愛い仔猫に引っかかれたのね」と、先制攻撃を受けるなどとは、この時点では夢にも思ってはいなかった。



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