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幸せの定義





母が亡くなった時、静かに最後の呼吸が止まった瞬間。ふと感じたのは父の温もりと存在感だった。

ああ、お父さんってば寂しくて迎えに来てたのね。涙がこぼれるよりも先に、さびしがり屋だった父の面影に見えぬ気配を感じては笑みが零れた。

あれから三年。父の隣で母は眠っている。



この風景が好きだからと、父が生前から決めていた場所。そして、母も望んでいた場所は私が生まれ育った街が一望できる小高い丘の上だった。光が降り注ぐ中、新緑に揺れる木々の色が母の目の色に似ているからと、父に連れられてきた場所。母と喧嘩をしては、朝から母と口を聞かない難しい年頃に差し掛かろうとしていた私を思っての事だろう。気分転換に行こうと連れ出され、お母さんには内緒だからね、と悪戯っぽい眼をして私に言ったのは、既に初老という域になりかけた父なりの遺言だったのかもしれないと今は思う。
父は、母にだけでなく私に対しても、細やかな愛情を与えてくれる人だった。

「長い間来られなくて、親不幸な娘でごめんなさい。漸く、お母さんの論文、実現化できそうなの」

墓前に花を手向けながら、私はそう言い訳をしている。多分、父は笑いながら許し、母は小言めいた事を云うであろうと生前の両親を思い出した。母──リタ・モルディオはその卓越した頭脳は科学者としても、名を馳せながらも、最後まで実現出来なかったことがあった。それは、その昔、この世界では当たり前にあった魔導器と呼ばれる物質であり絶対的な力を持つ物。生活の全てをそれに頼り切っていたが、消滅し、魔導器に代わる世界を作りだそうとしていたのは、母であり、それを支えていたのは父──レイヴンであった。

そんな父も旅が多くギルドの最高顧問として多忙を極めた人ではあったが、父が亡くなる数日前だったろうか、最後は自宅で過ごしたいと周囲が止めるのも聞かずに戻って来ては、帝都で住む私も呼び戻された時だった。

「お父さん、窓、閉めるわね。風が強くなってきたみたい」

返事がないのは、この所、呼吸器系の発作を起こす為から安定させるためと飲んでいた薬のせいだろうと思っていた。

「……あ、帰ってきてたの」
「やだ、起こしちゃった?」
「いいよ。うつらうつらしてただけだから」

起き上がろうとする父を介添えしては、苦しくない?と聞いた。

「うん、大丈夫だからね。嬢ちゃんが紹介してくれた医者の薬効いてるよ。そんな心配そうな顔しないの。せっかくの美人が台無しだよ」

父が嬢ちゃんといったのは、エステルお姉ちゃん。私が小さい頃から知っている母の大切な親友。元々は、皇女様。この帝都ザーフィアスのお城に住んでいたお姫様だったと聞かされたのは、随分、昔。母と違い、いつも優しくて、私が本を読んでと強請ると、いつまでも読んでくれていたっけ。

「お父さんだけよ。美人って言ってくれるの」
「ほんとに?」
「本当よ。だから、安心してよ。まだまだお嫁になんて行けないもの」
「世の中の男は見る目がないなあ。こんな美人滅多にいないっていうのに」
「この間まで私に言い寄るような男がいたら許さないって言ってたのに」

父は私のことを美人だと言ってくれるのは嬉しいが、それは、私を通して母の事を言っていると気が付いたのはいつの頃だったのだろう。

母と私は瓜二つだとよく周囲から言われた。鳶色の髪、蒼と碧がかった目の色。小柄で細い体つき。そして、その性格すらも、エステルお姉ちゃんの旦那さまであるユーリお兄ちゃんからも言われてた。それだけじゃない、フレンお兄ちゃんもカロルお兄ちゃん、母を知る人、全てが口を揃えては「リタとそっくりだ」と。

ただ、それは何時しか私にとっては重荷にもなっていた。高名な科学者である母と同じ道を選んだのは、小さな頃から研究所を遊び場にしていた私にとっては普通のことだったが、いざ、同じ度台に立てば、母の高名過ぎる名が私に邪魔をした。何かをすれば、結果すらも無視され、あの天才の娘だからという色眼鏡。

──今の、あのリタ・モルディオの娘だよ。父親が、ほら、あの……。

通りすがりにそんな噂話を聞かされるのも一度や二度ではなかった。何時だったか、そんな愚痴を父に零せば、「おまえはおまえだから気にすることない」と撫でてくれる手が優しくて、温かだった。そんな父を母は、あの子を甘やかし過ぎなのとよく怒っていた。私も母に対して、反発すれば、父と兄が止めに入るのは日常だった。

「そう言えば、今夜には帰って来れるしいわ。フレンお兄ちゃんが特別休暇許してくれたみたいで、結構長く休めるみたいよ」
「フレンに迷惑まで掛けて、あいつは、まったく」

あいつと言ったのは兄。一回りとは言わないが、それに近い程歳の差のある兄は、今は騎士団の一員でもある。兄は、ユーリお兄ちゃんやフレンお兄ちゃんを小さい頃から慕っていた。その頃、既にフレンお兄ちゃんは帝国騎士団団長だった。若いながらも、帝国騎士団団長として活躍する姿は、エステルお姉ちゃんがよく読んでくれた本の中に出てくる騎士そのものだった。そして、何故か父によくフレンお兄ちゃんは相談があるからと訪ねてきていた。そんなフレンお兄ちゃんに兄が憧れを抱いたのも当たり前だったのかもしれない。

「兄さんは、兄さんで立派にやってるわよ。あの若さで今や主席よ」
「誰もなり手がいないんだろう。あいつは俺には盾付く癖にフレンやユーリのいうことは聞くからなあ」
「だって、兄さんとお父さん、そっくりだもの」

兄もどちらかと言えば、全体的な雰囲気は母譲りだとは思うが、黒い髪と薄い虹彩をした碧色の目は父そっくりだった。性格はどうかわからないが、ユーリお兄ちゃん曰く、「若い頃のおっさんそっくりだ」と言っていたことも知っている。父は、「そんな筈ない」と否定していたが、私が知らない父を知るユーリお兄ちゃんが言うのだからそうだろうと思った。

やはり、同じように「そんな筈ない」と憮然という父をみて一頻り笑った後、父は静かに「ここにおいで、大事な話があるから」と言った。
いよいよ、死期が迫っていると覚悟したのだろうか。
それまで知っている父の顔ではない男性が居たように思える。
どこか陰鬱な相貌をした男だった。ただ、それは一瞬で消えた。


父が手招きをしては、私は、父の眠るベッドの脇に腰を下ろした。そして、何となくではあるが、父の胸元に額を寄せた。

小さな頃、母が帰って来なくて不安で寂しい泣きそうな夜。大抵は、父が代わりに傍にいてくれた。眠れない時は、父特製の少し甘いホットミルクを飲んだ後、父のベッドでいろいろな街の話をお伽話の代わりに聞いていた。博学だった父は、私の子供染みた疑問にもいつも真剣に聞いてくれては、丁寧な答えを出してくれた。そして、何よりその節くれだった大きな手で髪を撫で、安心させてくれては、私は眠りに落ちていた。そんな時と同じだった。

「ほんとに甘やかし過ぎたな」
「そうよ、ほんと。お母さんが怒るのも無理ないわ。立派なファザコンよ……話って?」
「あのね。これから話すことは、お前だけが知らない事だから」
「お前だけって、皆、知ってる事なの?」

「何?」と小首を傾げた私に語り出した父の言葉は予想にだしていない事だった。

「昔、この世界に魔導器っていうのがあったのは、お前もよく知ってるよね」
「ええ、だってその研究はお母さんや私が……」
「それを壊したのは、お父さんやお母さん、嬢ちゃん達なんだよ」
「嬢ちゃん達って、ユーリお兄ちゃんや、皆、お父さんの昔からの仲間だっていう人達?」
「ああ、そうだよ」

最初は、何を言っているのだろうと思った。そんな事すれば、父も母も、いや、エステルお姉ちゃん達だって無事で済む筈がない。それほどの大罪。驚きに声を失った私に父は淡々と、それこそ、昔、眠れない時に聞かすような口調で語り始めた。

「そして、俺はね、帝国騎士でもあったんだ。シュヴァーン・オルトレインっていう名前を持っていてね。いろんな事があって、お母さん、リタと知り合って、嬢ちゃんや大将とも仲間になってね」
「……シュヴァーンって、あの騎士団の?」

それこそ名前だけはいくら科学分野にしか興味を示さない私ですら知っている。その存在自体が、もはや独り歩きした伝説に近い存在の騎士。世界が変わった時、その男は死んだというのは有名な話だった。その男が、父であるという事実は俄かには信じられない。私が知っている父といえば、優しくていつも私を大切にしてくれた。それを母に咎められては、情けなさそうにしている父だった。シュヴァーンの素性は今だ持ってよく知られてない。どこかの貴族の息子だったという話もあれば、平民出身だったという話もある。文武両道に長けては、信頼を得ていたという話もあれば、魔導器を奪う為にその力を過信した首謀者の片割れになっていたと。何より、大罪を犯した一人として死んだと聞かされていた。生前のシュヴァーンを知る人も極僅かでは生存していたらしいが、その人らが言うにはそんな悪人ではない、と半ば崇拝に近い信者とでも言うべき人間も存在していた。そんな噂と伝説が入り混じっては、不思議な人物だという印象しかなかった。

「え……?だって、シュヴァーンって死んだ筈じゃあ……」
「そういう事にしたんだよ」
「それってどういう事なの?シュヴァーン一人が罪を被ったの?じゃあ、何故、お父さんが……」
「ほんと、せっかちだねえ。そういうとこはお母さん譲りだけど」

もう、と怒る顔すらそっくりだと父は薄く笑った。多分、父にはいくつになっても怖がりで寂しがりやの小さな私しか見えてなかったのだろう。余りにも父の話は荒唐無稽すぎて混乱を見せた私に父は暫く考えていたような素振りを見せた。

「そうだね……昔、あるお城に住むお姫様がいてね。そのお姫様は生まれながらに不思議な力があって、それを悪用しようとする魔物に命を狙われたんだ。魔物の狙いは、お姫様の命を代替えにして便利な世界の力を一人占めにしたかった。そして、お城に居ては危ないからと逃げ出した時にお姫様を助ける青年や少女と出会い、その魔物を倒す旅に出るんだ。ただ、その中には魔物の手先もいた。その手先はカラスと名乗って、お姫様達に近付いては、魔物にお姫様の様子を知らせていた。そのカラスっていうのは、魔物によって蘇った意思も持たない道具であり人形だったんだ。それは、過去に一度、壊れてしまっていからなんだ」

父は懐かしむかのような眼差しをしていた。そこに浮かぶのは、多分、若かりし頃の両親、そして、仲間達。以前、どうして、お母さんと知り合ったの?と訊ねたことがあった。その時、父は、旅の途中で出会ったんだと言ってくれた。遠い昔、私が生まれるずっと前の出来事。

「そして、ある時、古いお城でお姫様は魔物に捕まり、カラスは仲間を裏切った。そこで、カラスは人形の役目を終える筈だった。でも、仲間達は、カラスも仲間だから生きろって、新たにカラスに命をくれた。そこで、カラスは魔物から与えられたシュヴァーンを捨てたんだ。ただ、その代償は、魔物が欲しがっていた物も引き換えにしたけどね」

面白い話でしょ?と話し終えた父は、悪戯っぽく笑っていた。

「それで、そのお姫様達は幸せに暮らせた?」

エステルお姉ちゃんが読んでくれた本の中では、いつも、ハッピーエンド。悪い魔物は退治され、お姫様は幸せになっていた。だから、ついそんな風に聞いたのだろう。

「うん。お姫様は、お姫様を守った青年と結婚してね。他の仲間も其々の場所で幸せに暮らしたよ」
「……カラスは、どうなったの?」
「カラスは、仲間の一人である女の子を好きになってたの。でも、その女の子を裏切って、殺そうとした事を悔やんで、女の子の前から消えようとしてた。その女の子は、そんな事を気にするなって言って無理やり、カラスと結婚したの。カラスには、その女の子しか扱えない道具を持っていたから、それが交換条件」

多分、それは初めて聞いた父と母の馴れ初めだったのだろう。年齢差のある二人がどういう風に出会い、結婚までしたのかは、それなりの年齢になった今でも不思議には思っていたのだが、母は幼い頃に家族を失くしている。だから、歳の離れた父と出会った時、父を知らないという母の父親像を父に見出しては惹かれたのかとも思っていた。確か、ジュディスお姉ちゃんも同じような事を言っては母に否定されていたっけ。
ジュディスお姉ちゃんも両親の友人であり、後で分かったらしいが、母とは腹違いではあるが姉妹になる。当然、私にとっては伯母に当たる人だった。そう言えば、ジュディスお姉ちゃんも忙しい中、明日には来ると言っていた。

「お姫様も、その女の子も……エステルお姉ちゃんもお母さんもよく許したわよね」

あんな優しいお姉ちゃんを父は殺めようとしていた事実だけでも衝撃があった。そして、母もだろう。いわば、敵である父と結婚をし、ましてや、その男の子供を産み育てたのだから。

「今でも信じられない時あるよ。でも、それを夢じゃないって思わしてくれるのが、お前達だからね」

私を見て、穏やかな顔を父はしていた。「でも」と私に浮かび上がる疑問を父は察していたのだろう。
実しやかに囁かれる噂。シュヴァーンは、人魔戦争という大きな戦いの生き残りでもあったと聞いた事があった。ただ、その名前が世に出るには、暫くの時間があった。それが、後の事件にも繋がり名を歴史に残した。ただし、大罪を犯した一人として。

「シュヴァーンは、生きた道具にしか過ぎなかったよ。それ以前に一度、医学的な意味でも死んでいたから。魔導器を心臓に埋め込まれてね」
「……だから、お父さんには」
「そう。絶対に他人には言うなってお母さんが言った意味分かるでしょ。今は」

それは、私が幼い頃から疑問に思っていた父の心臓にある魔導器の存在。女の子しか扱えないというカラスが持っていた道具。今、この世の中で唯一、動いている魔導器。それが、今、父の口から事実を付けられては、点と点が一つの線になった。

「うん。だから、その心臓が証なのね」
「これのおかげでね、俺はこうして長らえる事が出来て、お前達にも出会えたから」

そして、母が何よりも、この魔導器を気に掛けていた意味も、初めて理解したような気がした。私が大きくなるにつれ母は研究所に籠る事が多くなった。そんな母を私は憎んだ。多分、思春期特有の反発もあっただろうが、家族すら見向きもせずに研究に没頭する母が何を望んでいたのか分からなかったから。それは、この世界をより良い為というような高潔な目的もあっただろうが、それは多分、意地っ張りな隠れ蓑。一番には父の命を一分でも一秒でも先に繋げようとする母なりの想いだったのだろう。時折、そんな生活から体調を崩すそんな母を父はよく諫めては、言っていた。

確か、もう私も十五歳になろうかという時。学校から遅く帰宅した際、珍しく母が早く帰ってきていたらしい。二人っきりでリビングに居たのを盗み聞く事があった。

──リタっちに何かある方が辛いよ。それに、こんなおっさんに大切な物を二人も与えてくれたんだから、それだけでもね。生きていて良かったって思わせてくれているんだよ。これ以上の望みなんて、もう、何もないんだから。

そこには父ではない、少し悪ふざけの過ぎるような男性というよりも少年っぽいような父がいた。

──ほんと、おっさんて。幾つになるのよ。その言い方。あの頃のままじゃない。

母はいつも通り怒っている感じだった。ただ、何か二人ともが私の知る両親ではなかった。
年齢差を埋めるような軽妙なやり取り。父と母は二十歳も違うせいか、時折、こんな風に会話しているのは知っていたが、何か、その時だけは、そこにいるのは私と同じような年頃の母とまだ若い頃の父が居たように見えた。

「お父さん、お母さんのこと、今でも好き?」

唐突にそんな言葉が出た。父は躊躇いもなく、「ああ」と言っては頷いた。そんなに想い想われている母が同じ女性としても羨ましくなった。

「私、お父さんと結婚したかったなあ」
「さすがにそれは無理でしょ。そういう人、みつけなさい。最後のお願いだから」

最後のお願い、その言葉は私に一筋の涙が落ちた。父は、確実にもう残された命の時間が無い事を知っている。どんなに母や私や兄、そして、父の仲間だった人達が一生懸命に父の命を長引かそうとしても、それは、諦めではなく、静かに迎え来る時を運命として受け入れようとしていたのだろう。

一度だけではなく、二度死んだ男は漸くその数奇な運命を閉じようとしている。

「女の子が泣くのは、幸せな時だけにしなさい」

うん、と頷く私の頭を撫でた。

その数日後、晴れた穏やかな日だった。父は皆に看取られながらその生涯を終えた。ギルドの最高顧問としての父の名は有名だった為、葬儀は大勢の人が集まり、父の死を悼んだ。



葬儀の前夜だった。皆が其々寝静まる時間。眠れない私は、父の傍でいようと思い、父の遺体が安置された部屋で、先客がいる事を知った。
そこには、父が眠る棺の傍に母は座っていた。

「お母さん、少しは寝ないと。後は私が……」

母の背後からそう声を掛けた。母は父がその命を終える瞬間も涙は見せなかった。ただ、悔しそうに、ぎゅっと堪えているかのように唇を噛みしめていた。そして、私はある事に気が付いた。

「お母さん、何してるの?」

母は父の手を両手で握りしめていた。それは、冷たくなった手を温めるかのようだった。

「冷たいから、温めてあげてるの。この人、寒がりでしょう」

ぽつりと零した言葉。ああ、母にとって父の死は肉体の消滅を意味していないだと思った。こうして、今も生きている。そんな感じがした。

「そうね。お父さん、いつも私を抱っこしては温かいって言ってたものね」
「そういう時もあったわね」

多分、母は私が幼い頃を思い出しているのだろう。そこには、いつになく優しげな眼をした母がいた。

「……お母さん、私、全部聞いたわ。お父さんから」
「何時?」
「数日前。まだ、意識がハッキリしてた時」

ふうと母は深い息を吐いた。

「約束だったのよ。あなたに昔話をする時は、どちらかが先に逝く時だって」
「兄さんは知ってるの?」
「あの子には、随分昔に話したわ。騎士団に入りたいって言った時にね。フレンが居るから全てを知った方がいいだろうっていう判断だったの」

「怒らないの?」と母は少し不思議そうな顔をしていた。隠し事を嫌うのは、母譲りだった。それこそ、秘密なんて抱えていれば、昔の、子供の私なら手が付けられないだったろう。ただ、今は、そんな年齢でもない。

「ううん。多分、そんな話をもっと前に聞かされても私には理解出来ないままだったかもしれないから。そうね。今はお母さんがお父さんと出会った頃よりも歳も重ねているし、今ならはっきりと分かるわ」

──どんなにお父さんが、お母さんを愛していたか。そして、お父さんが皆を大切にしていたか。生きていて良かったと、その最後の瞬間まで思っていたのよ。

「本当に幸せだったのね」

母は、父の眠る顔に向けて、そう呟いた。


それから、三年後。
研究に没頭する私は年に数回、母と会えばいいような生活を送っていた。実家に帰ったのは、父の葬儀の時だけだった。むしろ、母一人の身体を案じては、兄の方がよく帰っていたらしい。私と言えば、帰らないでも学会で会う時もあれば、研究所ですれ違うような生活を送っていた。普通の母と娘というには、少し不思議な関係だったろう。それこそ、エステルお姉ちゃんが、心配して訪ねて来てくれたり、忙しい中、ジュディスお姉ちゃんも来てくれた。

そんな中、母が病に倒れたと聞かされた。

「もう母さんは長くない」

三年ぶりに帰って来た我が家。父が生前、よく座っていたリビングのソファに座った兄は、隣に座り言葉を失ったままの私の頭を撫でてくれた。寂しがり屋で意地っ張りな私を心配しているのだろう。その手が父を思い出すようで、私は兄に抱きついては、小さな子供のように泣きじゃくるしかなかった。

「父さんが、お前を甘やかし過ぎてたからな」

泣きじゃくる私に兄はわざと憎まれ口を言っていた。歳の離れた兄は、何時の間にか父と同じように存在感を醸しだしていた。

「落ち着いたか?」と私を見る眼は父と同じだった。うん、と頷いて真っ赤になっているだろう目を兄は心配そうに覗きこんでいる。

「お母さんはそれ知ってるの?」
「ああ、かなり前から進行していたこともな」
「……ひょっとして、知らなかったの私だけなの?」

兄は少し考えるような表情を浮かべて「ああ、そうだ」とだけ言った。

「お父さんもお母さんも皆、私にだけは、隠すのね。最後まで」

怒ると思っていた兄は少し拍子抜けしたような驚きを浮かべていた。多分、そうだろう。今までの私なら泣き喚いては、癇癪を起したような子供だった。それが、激しく泣きじゃくっていたかと思えば、静かに事実を述べるのだから。

「もう、そんな子供じゃないわよ。昔ね、お父さんが亡くなる数日前に聞かされた秘密。兄さんは、ずっと前に聞かされたって知ったわ。それだけ、皆、私のこと心配してくれてるからなんでしょう?」
「まあ、な。お前は知らなかっただろうけど、父さんが死ぬ前、皆を呼んで、お前に何かあった時は頼むって言ってたらしいよ。それだけ、最後までおまえは父さんにとっては気掛かりな存在だったんだよ。そして、母さんにとってもな」

兄が言う皆とは、昔の旅の仲間。今は其々違う場所で生活するも、その立場から名が広く世に通るような人達ばかりだ。

「少し、研究所の方、休めないか?」

それは、母の最後の時を静かに見守ってほしいという兄の願いだったろう。多忙を極める兄は、いくらフレンお兄ちゃんがいるとはいえ、母の傍に付きっきりと言う訳にはいかない事情もある。

「うん。大丈夫。有給もイッパイあるし。皆も事情分かってくれるわ」

それから三日後、私は研究所を復帰届けの期日が無いまま休む事になった。そんな特別な理由が通じるのも、私自身が母と対等な立場までに登り詰めていたいたからだろう。そして、エステルお姉ちゃんの口添えもあった。元皇女という立場は、帝都の研究所である以上、表立って勝手は出来ないにしても、簡単なことだったろう。

「エステルお姉ちゃん」

生まれ育った我が家に着いた時、見慣れた姿があった。病院から母を引き取るのをエステルお姉ちゃんが全てやってくれていた。

「早く帰れて良かったです」
「うん。暫く休むから。エステルお姉ちゃん、いろいろ、ありがとう」

努めて明るく言えば、目には、溢れそうな涙がたまっていた。そんな私にエステルお姉ちゃんは、昔から変わらない優しい笑顔を見せてくれた。

「泣いていいわよ。その代わり、絶対リタの前では泣かないって約束して下さいね」

母が何故、この女性を親友だと言っているのかが、分かるような気がした。ふわりと包み込む優しさに溢れた人。でも、その芯は強く、皇女という身分を捨ててまでユーリお兄ちゃんのお嫁さんになった人だと思った。

「ユーリも近い内に顔を見せるって言ってますから」
「うん、ありがとう」

父亡き後も、母を心配してくれる仲間がいた。多分、父は私だけでなく母の事も気に掛けていては、仲間に頼んでいたのであろう。

父は死後もまだ母を愛していた。そして、私も愛してくれている。

それからは、入れ替わり立ち替わり、誰かが母を見舞ってくれる日々が過ぎた。ただ、それとは裏腹に母の病状は思いのほか、早く、私が家に戻ってから二月目には、もう自力で起き上がる事すら無理なほどだった。母の前では泣かないという約束を守りぬくのは大変だった。昨日出来ていた事が、今日は出来なくなる程のスピードで病魔は母を蝕んでいた。

そして、私は父をよく夢で見るようになった。それは、小さい頃、長旅に出る準備している父に「行かないで」と泣いて困らせたり、帰って来ない母に不満を漏らした時、何時にはなく、厳しい声で私を叱咤する父だったりと、様々な父がいた。母に何かあってはいけないからと、同じ寝室、以前は両親の寝室で寝起きするようになってからだったせいか、昔、父が使っていたベッドで眠るようになったのかは分からないが。何故か、父が傍にいるような気配を時折感じるようになっていた。

ある夜。ジュディスお姉ちゃんがきちんと食べてる?とた訪ねて来てくれた。世界中を飛び回り忙しいのは相変わらずだが、たった一人の妹の為、ジュディスお姉ちゃんもまた、仕事をやりくりして、近所に家を借りては、私と半分交代のように世話をしてくれていた。

「あなたもリタも集中するとすぐに寝食を忘れる所があるから」

「お母さんみたいに酷くないわよ」と言う私に、くすくすと笑うも、どこか懐かしそうに思い出したような笑み。
コーヒーを一緒に飲みながら、私は何気なく尋ねた。

「私ってそんなにお母さんと似てる?」

皆が似てると言えば言うほどに拒否反応を示したのは子供時代の話だった。それが何時しか言われなくなったのは、何故なんだろう。それは、私という人格が形成され始めた時だったのかもしれない。

「そうね。外見はそっくりだし、似ていると言えば似ているけれど、あなたの方がよっぽど素直で優しいわ。レイヴンがあんなに甘やかしてたから、どんな我儘娘に育つかと思っていたけど、私の杞憂だったものね」
「お母さんって、そんなに捻くれてる子供だったの?」
「リタに言えば怒るだろうけど、本当、素直じゃなかったわ。なかなか認めないでいてね」

何かを思い出したかのように、ジュディスお姉ちゃんは優しい笑みを浮かべていた。怪訝そうな私に、ジュディスお姉ちゃんは、「ごめんなさい。昔の事思い出したから」と言った。

「おじ様……レイヴンの秘密はもう知っているわよね?」
「うん。お父さんが亡くなる前に話してくれたわ」

「それなら」と、ジュディスお姉ちゃんが語り始めたのは、両親がどうして結婚までに至ったかだった。

「リタはなかなか自分の気持ちを認めようとしなくてね。あなたも十分知ってるけど、意地っ張りでしょ?それに、レイヴンも同じ気持ちだったのに、レイヴンは年齢差を気にしてね。勿論、それ以上にリタやエステルを傷つけ、仲間を裏切ったっていう良心の呵責みたいなものを抱えていたのかもしれないわ」
「年齢差かあ。確かにお父さんなら気にしそうだわ」
「そうね。でも……彼なりのケジメだったのかもしれないわね。ある日、ちょっと出掛けるからなんて素振りで私たちの前から姿を消そうとしたのよ。それを見つけたのはリタだったわ。多分、リタは気が付いていたのね。レイヴンはいつか私たちの前から姿を消す日が来るだろうって」
「でも、仲間から許されたんじゃなかったの?」
「許されたわ。許されたからこそ、彼にとっては新たな生きてゆく目的を探していたのかもしれないわね」

今となっては、何故、父が与えられた命をまだ持て余すかのような行動に出たのは分からない。それは、本人しか分からない永遠の秘密だろう。いや、それ以上に、父自身も分かっていなかったのではないかと思った。

「リタは、そんなレイヴンが許せなかったのよ。『そんなに死にたいのなら、あたしが殺してやるから』って叫んでね」
「殺すって……」

あの母なら言いかねないと思った。それぐらい母の気性の激しさは身を持って私も分かっている。

「それで、『あたしが息の根止めるんだから、あたしと結婚しなさい。あんたの選択肢なんて、もうないの。その魔導器いつかあたしが壊してやる』って」

そこまで言って、ジュディスお姉ちゃんは噴き出すように笑っていた。言いかえれば、あんたの勝手で死ぬのは許さない。最後はあたしが看取るという不器用な母の意思表示。プロポーズと言うのには、余りにもムードの欠片すらない。私は、呆れるしかなかったが、何故、そこまでジュディスお姉ちゃんが詳しいのだろうと思った。

「え?それ知ってるって……まさか、皆が居た場所とかで告白してたの?」
「そうなのよ。公開逆プロポーズっていうとこかしら。でも、皆の前で言ったのはリタなりの計算だったんでしょうね。リタの気持ちもレイヴンの気持ちも、皆、知っていたから、逃げ道を塞いだのよ」
「……呆れた。お父さんもお母さんもそんな事全然言わないわよ」
「ふふ、そうでしょう。でも、それぐらいしないとレイヴンは太刀打ちできない相手だったからよ」
「……シュヴァーンっていう人が父でもあったから?」

ジュディスお姉ちゃんの動きが止まった。ジュディスお姉ちゃんを介しても、シュヴァーンという名の父は相当な存在だったと知らされる。

「……そうね。シュヴァーンっていう人間は、私ですら計り知れないものがあったわ。未だに信じられない時もあるもの。それぐらい完璧に私たちを欺いていたの。そして、剣や武術にも長けていてね。噂では、冷酷非道のような話もあるけれど、騎士の間では、崇拝する人間も未だに居るわ。フレンがレイヴンを崇拝するのも分かるでしょう?」
「そうね。今となっては、フレンお兄ちゃんがよく来てたのも分かったわ」
「何かあると、レイヴンさんって頼ってたからね」

ジュディスお姉ちゃんは、カップをに一口付けると、懐かしい眼をしていた。その先には、まだ若かった皆がいて、悲しい事実だけではない、仲間としての旅の事を思い出しているようにも見えた。そんな仲間をいつか裏切ると知りながら、過ごしていた父。

「お父さん、そんな生活、苦しくなかったのかな?」

父に問いたくて、問えなかった疑問。奇しくも同じ道を選んだ兄ならそんな疑問も分かりあえるだろが、私には到底理解出来ない。

「……でも、そんなレイヴンを変えたのはリタだったわ。あなたが生まれた時なんて、本当においおい泣いてね。ユーリなんて見っとも無いって呆れかえってたわ」
「泣くって……」
「お兄さんが産まれた時もだったけど、女の子だって分かった時の喜びようは半端なかったもの。それは、あなた自身が一番良く分かっているでしょう?」
「うん」
「そして、リタもね。初めての時も、あなたを身籠った時も不安そうだったわ。でも、今度はレイヴンがそれを見守っていたの」
「お母さんが不安になるなんて」

私が知る母と言えば、いつも強い信念の持ち主だった。そんな母が不安を抱えるなんてと予想外の言葉だった。

「それは、私も分からない気持ちだけど、いつか、あなたが経験すれば分かる事よ。そうね。エステルにでも聞いてみれば分かるかしら。同じ母親っていう立場なら、分かるかもしれないわ」

ジュディスお姉ちゃんは、全く違う外見の姉妹だけれど、どこか母と似たような面差しを浮かべていた。

「あなたが生まれた時、私も嬉しかったわ。リタ以外に、もう一人この世で半分とはいえ同じ血を引いて、それを受け継いでくれる存在が出来たってね。そして、皆、同じ気持ちだと思ったわ。ユーリやエステル、フレン、カロル、パティもね。あなたやお兄さんの存在が一番のレイヴンとリタの生きる証になったってね」



長話が過ぎたわねとジュディスお姉ちゃんが帰った後、私はそっと寝室に向かっていた。
母はまだ起きていた。もう自力で起き上がることも困難だというのに、傍らには古い書物が置いてある。苦しくないの?と私が慌てるも、今は大丈夫だと言った。

「ジュディスはもう帰ったの?」
「うん、いろいろ話してたけど」
「ほんとに昔から余計な事言うんだから」
「たった一人の姉なんだから、そんな事言わないでよ。私にとってみれば、大切な伯母様よ」

そう言うと母はもう眠るからと。母を寝かしつけると、私も隣のベッドで横になった。

「ね、お母さん、私を身籠った時、不安だった?」
「……ジュディスね」
「うん。どうだった?」
「嬉しかったわ……でも、不安だった。お兄ちゃんはもう手が掛からなくなっていたから、本格的に研究に復帰しようと思い始めた頃だったから余計にね」

そう言われて、私は、何で今まで気が付かなかったのだろうと思った。
母の研究の目的は、父の命を預かっている事でもあった。それを私と言う存在が邪魔をした。

「でもね。それ以上に、あなたの存在が愛おしく思えたの。あんなに研究だけしていればいいって思っていたのを変えたのも、あなた達やお父さんだったわ」

──いつか、そんな存在を与えてくれる人を見つけなさい。あたしは、もう十分に幸せだったわ。あなたも幸せになりなさい。

それが、母の最期の言葉になった。



父と違い、母は静かに私だけが看取った。明け方近く、容態が急変した時、近くにいたジュディスお姉ちゃんですら、間に合わないほど、呆気なく、母はこの世を去った。

そして、その瞬間、母が最後に大きな息を吐いた時、私は泣くよりも先に父の気配を感じた。

「ねえ、お父さん、お母さん迎えに来たの?」

──うん、リタっちって寂しがり屋だからねえ。それに我儘だし。俺が約束破って勝手に先に逝ったの、まだ、怒ってるから、お迎えぐらいしてあげないと、もっと怒られるわ。

ふと、私の頭を撫でる感触があった。それは父の手のぬくもり。そして、母の眠る傍らに、ぼんやりながらも、見えたのは、私の知らない若い頃の父だった。紫色の大きな羽織を着て、長い髪を束ねている。母を見つめる、その眼差しは、私に向けるものと同じだったが、どこか気恥しそうにも見えた。

「まだ、まだ私を一人にしないで……お願い……」

──お父さん、困らさせないでよ。もうお父さんも待ちくたびれてるんだ。それに、お前にはいっぱい心配してくれる人を残して来てるから。兄さんもいるだろ?忙しいばっかり言ってるけど。寂しかったら何時でも頼りなさいな。あいつはそんな男になったよ。
──おっさん、お待たせ。待ちくたびれたって、おっさんが勝手に先に逝くからじゃない。
──リタっちってば、ほんと、変わんないわねえ。

父の傍らに、十五、六歳の少女が居た。小柄で細く、赤いミニのワンピース姿。何か色々な計器を服にぶら下げている。
気の強そうな瞳は文句を言いながらも、どこか嬉しそうだった。

──あんたも早くいい人見つけなさい。約束したでしょう?

それは、私と同じ髪や目の色をした母だった。私が見た事のない両親。
母は照れたように父の差し出した手を掴んでいる。私は叫んでいた。

「お願い、逝かないで。傍にいて」

ふっと風が通り過ぎた。私を抱き包むようにしては、二人の姿は消えた。

今、漸く二人の愛は、永遠になったのだと私は思った。
生と死が分かつのなら、それすらも二人は乗り越えようとしたのだろう。


母もまた父同様に穏やかな木々の木漏れ日が眩しい中、漸く、父の隣で眠りについた。
その後、私は母の遺品整理をしていた。装飾品に華美な物を好む母ではなかったせいか、せいぜい、父が母に送ったという何点かの宝飾類が形見と言えるものだったろう。数点をエステルお姉ちゃん達に渡した後、私は母が残した膨大な資料の片付けに一月以上の時間を取られる羽目になった。数々の資料に交じって、そこには父の心臓に関する記述もたくさんあった。ただ、私はそれは他人には見せたくないと思い、裏庭でひっそりと燃やした。

もう永遠に父の心臓の秘密を知る人は居ない。そして、その秘密を調べていた母もこの世を去った。

ゆっくりと立ち上ってゆく煙を見つめながら、住む人を失った家を見た。兄は帝都での仕事がある。私も休職中とはいえ同じだった。急にこの家が朽ちて行くようで、私は母の死を漸く受け止めた涙を流していた。



「何か困った事あれば、いつでも言えよ。フレンの奴、頼りねーからなあ。エステルも、一度、寄越すからな」

ユーリお兄ちゃんだった。ギルドの遠征からの帰途中だったらしい。本当なら早く帰りたいだろうに、わざわざこの両親が住み、今は私が仮住まいしている家を訪ねて来てくれた。

「何時までここに居るつもりなんだ?」
「研究所の方は、まだ、復帰しなくていいっていうから。後、少しだけ一月ぐらいは居ようかなって、お母さんの残した資料のおかげで、一人だと片付けもなかなか進まないの」
「家って、誰も住まなくなると痛むのが早いっていうから、それがいいんじゃないか?」
「それでね。お願いがあるの。家具なんかは処分するけど、この家、誰かに住んで預かってもらいたの。一番は私か兄さんが住むべきなんだけど、今は無理だから」
「……じゃあ、誰か仲間内に聞いてみるよ」
「ありがと」と、一番の問題が片付いた事で漸く私は笑う事が出来たかもしれない。

「ほんと、似てるな」とユーリお兄ちゃんは帰り際に呟いた。

「いや、さっき笑った顔が、リタにそっくりだったからな。女の子ってこんなに母親に似るのかなって。まあ、おっさんの血が出ない分だけ良かったけど」
「それってお父さん聞いたら、泣くわよ」
「それぐらいで泣くようなおっさんじゃいよ。それこそ、俺のとこに娘が居ないから、散々、自慢してたんだぞ。『リタに似て、頭はいいわ。可愛い、美人だ。大将、娘ってあんなに可愛いもんなんだねえ』って。おかげで、エステルなんて、おまえのこと養女にしたいって言い出してるぐらいなんだから」

「じゃあな」とユーリお兄ちゃんは帰って行った。その後、実家は、ユーリお兄ちゃんの知人だという一家が住む事になった。まだ、若い夫婦と小さな兄妹がいる家庭だった。どこかで見たような家族がそこにまた帰って来たように思えた。



それから、更に三年後、母の残した学術論文のなかから私はある一定の用法を用いて実用化出来ることに成功した。これが世界に広まれば、随分と生活は変わるだろう。魔導器までとはいかないが、それに近い存在。その報告をやってきたのは、両親が眠りについた小高い丘の上。菩提樹の木々が風に揺れ、ざわめいている。
白い花束を墓に供えると、私は静かに在りし日の両親を思い浮かべた。それは、あの母が息を引き取った時に見た若い頃の両親だったり、まだ、私が幼い頃の両親だったりと様々な両親が居た。そこには、いつも母を慈しむ父がいて、母は不器用ながらにも、そんな父からの愛情を受け止めていたように思えた。

「お母さんみたいな研究者としてはまだまだ程遠いけど、あの資料から、なんとか実用化出来そうよ。それとね、漸く、お父さんみたいな人見つけたの」

──本当なら、そんな姿を二人に見て貰いたかった。ねえ、どこかで見ててくれるかな?

「ユーリお兄ちゃんが代役してくれることになったから。父親役するの、フレンお兄ちゃん達、殴り合いの大ゲンカしてたわよ。お父さんが皆に頼んでくれたおかげで何とかやってるわ。兄さんとこも、また子供産まれるって……ねえ、お母さん、お父さんとそっちで幸せ?お父さんも幸せなの?」

答えてはくれない墓標の前で、私は呟いた。風が通り抜けた時、「幸せだから心配しないの」と、声がどこからか聞こえた。

「うん、そうね。幸せに決まっているわね」

遠くで私を呼ぶ声がした。振り返れば、兄とその家族、そして、私の恋人がいた。


今はもう昔話になってしまったカラスと少女の話をいつか、父が私に話してくれたように、我が子にも話しをしてあげたいと思った。そして、その仲間の話も。歴史という時間の中で表には出なかった人達。そして、表に名を残す事で罪を背負った男の話。多分、それは其々が背負った幸せの定義だと私は思った。




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