THIS NIGHT

もうじき冬休み。そして、クリスマスとイベントが続く冬。寒さだけには滅法弱い、彼氏は相変わらず、常夏かと思う程に部室内の空調設定。しかも、その横には彼自身が自腹で購入したであろうオイルヒーターまで持参している。

「おっさん、暑いのよ」
「おっさん、寒いのよ」

ああ言えば、こういう。この部屋といっても、物理学担当教諭であるレイヴンの根城である部屋。その室内にいるのは科学部部員のリタの二人きり。本来、三年生であるから部活動は引退する時期はとっくに過ぎているのだが、リタ曰く、あたしは進路も決まってるんだから、別に問題ある訳?だとか。それもその筈、部活動とは名目、密かに付き合っている二人なのだから、部活動の時間は自ずとデートの時間とでもいうべきもの。当人たちに告げれば、当然、即否定するだろうが、それを知るのは今はこの学園で勤務する保健校医とリタの親友の僅かな人間。

「全く、もう。あたしは、暑いっていうのに」
「……リタっちは若いからよ」

思わず出た本音。ミニスカートのような丈の制服姿。生足といえば聞こえは何だかエロティックだが、寒くなのかねとレイヴンが思うのも、仕方ない。その上、彼女が今、本を読みながら片手にしているのは冷たい缶ジュース。喉が渇いたといえば、ホットココアでも淹れようとした矢先に冷たいのが良いと言っては、自分で買いに行った程。

「それより、今年はどうするの?去年みたいに嬢ちゃんちでクリスマスパーティあるんでしょ?」

何気なく、さり気無く聞いて来るもんだ。とリタは読みかけの本をから視線を移しては、レイヴンを見ていた。壁にあるカレンダーにもちらりと視線が行く。12月24日。それがなんであるかリタとて知っている上に、リタの親友にして今は大学生となったお嬢様とあだ名があるエステルの自宅で毎年開かれているパーティに誘われていたのは去年まで。
今年になってから、双方、少し事情が変わっていた。
エステル自身が、大学生になっている意味合いもあるだろうが、其々に片方は公式。もう片方は非公式ながらも、それなりに過ごす相手、特定の、と注釈が付く相手がいる。

何時までもエステルやあたしだってお子様みたいなパーティで楽しめる年頃じゃないのよ。まあ、あれはあれで楽しいけれど。
分かってるの?この、鈍感。

特別な日だから、こそ。過ごしたい相手が、二人っきりで、二人には居る。

本に顔を戻しては、頬杖をついてリタは、やや不機嫌そうに答えていた。

「……行かないわよ」
「あら、そうなの。嬢ちゃん寂しがってるかもよ?」
「……あたしんちに泊まることになってんの」
「あ、そう……おっさんも行ったら駄目?」

思わず、レイヴンの顔をまじまじと、それこそ食い入るように見つめた。暫し、沈黙。レイヴンと言えば、ややリタの視線にうろたえている。

「……はあ?おっさん、それ本気なの?何言ってんのよ」
「はあ、ってないでしょ?どうせ、青年達も来て鍋かなんかするんでしょ?何なら、おっさんも料理ぐらい作るわよ?」

どこまで冗談なのか、本気なのか分からない。しかし、この男の口調が段々と情けないものになって行ったところまでは本気で言っているのだろう。不安げに眉尻を下げている辺り、本気でエステルが泊まるのだと思いこんでいるらしい。
おっさんだけ仲間外れにしないでよ。
そんな表情。

「何時ものアリバイ工作に決まってるでしょ?ほんと、あの二人、あたしをダシにしてくれてるんだから」
「……あ、そういうこと」

さすがにレイヴンもそれだけで全てを理解した。他人の恋愛事情を聞くのもなんだか気恥しさが浮かぶ。
青年もやるわねえ。あの超箱入り娘、だまくらかして。
しかし、その片棒を担がされるリタもそれで良いのだろうか、と思う。

「……そ、それに、あ、あたしだって、今年は……そういう人いるんだから」

レイヴンに向けられていた、呆れ果てた視線が今度は俯きがちにぼそぼそと少しだけ気恥しさを漂わせて呟かれる。

「え?あ?うん」

その相手が自分なのだから、思わず赤面してしまう。いい大人が何をやっているんだと思うも、やや焦り気味に襟足を掻く。しかし、困ったなと思うのはその手に関してほぼ手付かずにしていた。学期末を控えての仕事もあるが、その他にも年末までのスケジュールは立て込んでいる。
今から、それなりの店なんぞ予約も出来ないだろう、そんな事すら浮かんでくる。

「ちゃんとした用意とかできないけどさ、俺んち来るよね?」
「……別にあたしだって用意ぐらいするわよ。おっさんが忙しいのは分かってるし。その、エステルと簡単だけど料理とかケーキ作る予定だから、あたしんちに……来てよ」
「えっ?そうなの?ほんとに?ほんとなの?」

一転して、曇り空から晴れ間が射し渡るかのように、喜び勇んでいる表情。
どっちが子供か分かんないじゃないの。
ただ、リタも忘れていた訳ではないが、つい、浮かれていたせいなのか肝心なことを失念していた。
急に、曇るのはレイヴンの表情。

「あ、でも俺……」
「分かってる。おっさんには……どうしよう」

甘い物がこの世で一番嫌いだという味覚の持ち主。今更、好きになれ。ケーキごときクリスマスの日だけでも食えるようになれと言うのは無理な話だろう。

「……頑張る。俺、リタっちの作った物なら」
「いいわよ。計画変更して、何か、おっさんも食べれるような物作るわ。ケーキ以外は大丈夫でしょ?」
「うん、ごめんね」

ごめんねと言いながらも、どこか浮かれ気味でついには鼻歌など聞こえてくる。リタといえば、はあ、と溜息を零すしかない。


そして、やってきたのはクリスマスイブ当日だった。結局、思案した所で好みが変わる訳でもない上に、エステルに台所を貸すのはアリバイ工作の意味合いもあるのだが、一人料理を作るのはまだ心許無い。あれこれ考えるのなら、結果、何時も通りでいいのではないかと、リタなりの結論。

「それで、これなんです?」

親友が目を丸くして、些か、素っ頓狂にも思える声を上げるのも無理はないだろう。
何故か、キッチンの上にあるのは、魚の切り身がパッキングされている、極々普通にその辺の店で売られている代物。味醂とラベルの書かれた調味料。味噌等々。おおよそ、クリスマスとは無縁。どうみても、日常のそれも普通の日だといういような材料が似つかわしくない。
本来であるなら、適当に何か店で見繕ってと思ったが、やはり、この手の事には知識不足なリタだった。

「だ、だって仕方ないじゃない。おっさん、ケーキ食べれないし、好物って言うと、これしか思い浮かばないんだもの……後は、お鍋でもしようかと思って、脂っこい物も、おっさん食べないだろうから……」

必死で赤くなりながら言い訳をするリタをエステルは、そう言えば、そうだったと思いだしていた。本当であるなら、お互いに休みにはなっているから、朝から二人で買いだしにでも行けば良かったのだが、急にリタから予定変更とだけのメールが来ていたから、何も問わずにリタの自宅まで材料を買い込んで来てみた所、キッチンに並ぶ食材にエステルも合点がいったようだった。

「……レイヴン先生、甘いもの嫌いでしたよね」
「だから、あたしだって散々悩んだわよ」
「こういうこと、そのお料理って初めてなんです?」
「……た、たまには作ってるわよ。先月はパティに教わったおでん作ったって、な、何よ、その顔」

リタと劣らず大きな丸い目を細めている一つ年上の親友は、優しげに目を細めながら、ふふ、と微笑んでいる。他の親友とは違い、からかう事もなければ、ただ黙ってリタを見つめている。時には、彼氏宅のお泊まりの為にアリバイ工作などという大胆な片棒を担がせる親友ではあるが、それでも、基本的にはリタの愚痴めいた言葉も何一つ反論せずに聞いてくれるような存在であり、レイヴンには時折、本人には自覚がないのだが、純粋過ぎるまでの親友を思えばこその訴えはチクリと刺す存在でもある。

「リタ、可愛いです」
「なっ!もう。あたしのことは良いから。さっさと作らないと、あいつ来るんじゃないの」
「はい。じゃあ作りましょうか」

赤くなりながら、ぶつぶつと文句を、主にレイヴンに対するものだったが、呟いているリタを横目でエステルは見つめていた。

リタ、可愛いです。

口に出さないままに、そう呟く。一生懸命に、ひたむきに恋をしているような親友。不器用だけに、その想いは十分に分かってくる。そして、同時にレイヴンがいかにリタのことを大切に思っているかも手に取るように分かっていた。

リタ、綺麗になりました。

リタの、自分よりも長くなった髪を見つめては、エステルもまた料理に取りかかっていた。


滅多にというよりも、殆ど使われていなかったオーブンから香ばしい香りが室内を漂わせ始めた時、それまでリタとエステルはあれやこれやと作り、エステルの分だけは別に仕分けては、味見をしたり、他愛もない会話をしている。
ココアを飲みながらの、休憩時間。リビングでオーブンの様子を窺いながら、何時もの会話。

「それで、プレゼント決めました?」
「……一応は」
「てっきり、私、リタが誘ってくれるかなって思ってたんです」
「……ごめん」

そうなのだ。12月になる前から、思案していた。気の効いたものなんて想像も出来ないし、親友に相談しようかと思っていたが、それすらも恥かしさで言い出せないまま。その内、試験だのなんだので忙しく過ごしているうちにリタ自身、えい、と気合を入れて飛び込んだ店で買い求めていた。
寒がりなおっさんだから、とリタは寝室に置いてあるプレゼントを思い出していた。

「レイヴン先生のプレゼントは何を買ったんです?」
「……エステルこそ、何にしたのよ」
「私は……秘密です」

くすくすと笑うエステルは、相変わらず可愛いし綺麗だなと思うのだけど、言わないなんてズルイと思うしかない。どう考えても、あの男、エステルの彼氏であるユーリが欲しがる物といえば、何かあったかしら?と。レイヴンとは正反対で大の甘党としか思い浮かばない。巨大なバケツで作るとか言うプリンだとか、大きなホールサイズの生クリームたっぷりなケーキだとか、そんな物しか浮かばない自分もどうなんだろうと思うのだが、互いに、言わない辺りが自分達らしいと思う。何でも言い合う仲ではあるが、二人で過ごす時間がそれなりに経過していが、エステルが高校を卒業した時からその関係性も少しだけ変化していたように思う。

そうよね。お互いに別々の時間、過ごす相手がいるんだものね。

春、レイヴンのことを好きだと告げた時、この部屋でエステルは、ただ黙って泣きじゃくるリタを見つめていた。叱責する訳でもなく、励ますでも、同調するだけでもなく、ただ、不安な気持ちを吐露したいリタの思うように聞いてくれていた。その時の眼差しをリタは、今、悪戯っぽく笑うエステルと重ね合わせていた。まだ完全な大人ではないけれど、大人に向かって少し先を歩いている親友。少しだけ羨ましく、そして、そんな風に自分も来年の今頃には笑っていられるのかな、と。

「じゃあ、あたしも秘密」
「そうです?」
「そうなの」

二人共、顔を見合わせては笑っていた。そんな時、玄関のインターホンが鳴っていた。

「お、美味そう」
「ユーリ、お行儀が悪いです」

ペチ、と叩く音がしたと思えば、出来上がったケーキのクリームを指先で掬いあげようとしているユーリを制するエステルがいた。
それをリビングから眺めながらリタは、ねえ、あんた達、人んちで、いちゃつくの、辞めてくれない?とは思うのだが、それも慣れている光景。黙っていなければ、エステルはともかく、ユーリには何を言われるのか、たまったものではない。しかも、口が悪いと来ていれば、自ずとリタも自重だけに、内心で文句らしきものも浮かぶが、それも文句ともいえない代物。あんた、黒尽くめ過ぎやしない?とリタが思うほどに黒系統でまとめているユーリを見ては、まあ、他人の彼氏だし、何も言うまいとは思う。細身の長身、何を着ても似合うときている。美人のエステルと並べば、それこそさすが学園の美人美男カップルだと皆が噂するのも仕方ない。

おっさんだってスーツ姿とか、それなりに整えたらかっこいいわよ。普段が、アレだから、アレだけど。



「忘れ物ないのか?」

玄関先でユーリが靴を履きながら、後をついて来るエステルに向かって言っていた。

「ユーリ。例の、引き取りにいってきてくれました?」
「ああ、これだろ」

そういえば、ユーリが来た時に珍しく手提げ袋などを持っていたことにリタは気が付いた。そして、それをリタの目前、ユーリはエステルに渡している。リタが何だろうと思うもなく、エステルは、その袋から取り出した物──いかにもと、いうラッピングされた大きな進物品は、誰がどう見てもクリスマスプレゼント。

「私とユーリから、リタとレイヴン先生へのクリスマスプレゼントです」
「え?だって、あたし」

用意すら、どころか思いも浮かんでいなかった。去年なら、それなりに選んではいたのに、今年は双方が別々に過ごす相手がいる。その上にリタはそれどころで無かった。それでなくとも、レイヴンへのプレゼントだけで必死になっていた。さり気無く聞くことすら浮かんでも来なかったのだから。
差し出された箱をリタは見つめては、微笑んでいる親友と交互に見比べていた。
いいの?と不安げになるかのようなリタの瞳。

「今日、台所貸してたんだろ?それに何時もリタには、な。いろいろ、と。だから、その駄賃だと思えよ」

ユーリが言う、何時も、いろいろ、とはリタも巻き込んでの週末同棲のアリバイ工作のことだった。
中々受け取らないリタにユーリがそういえば、それもありかと思う。
おずおずとそれを受け取ると、リタは漸く嬉しそうに目を細めている。
その様子を見守っていた、ユーリとエステルも交互に顔を見合わせてはほっとしたかのように笑顔が零れた。

「うん、ありがと。ごめん、あたし何にも用意してなくて」
「いいんです。今度、皆でご飯食べましょうってレイヴン先生に伝えてください」
「そうだ。おっさんの驕りでチャラにしようぜ。じゃあ、俺達は帰るからな……それ、おっさんが居る時に開けろよ」
「そうです。二人で一緒に見てくださいね」

何故か、二人に念押しされるように言われて、リタは、思わず頷くしかない。
手を振る二人を玄関ホールまで見送っては、時間を気にし始めていた。

部屋の戻れば、エステル達から贈られたプレゼントの包みが気になる。こっそりと思うも、いや、まて、と押し止める。開けてしまえば、今度は包み直す自信もない。重さから言えば、割れ物が入っているようでもなさそうだ。本の様な気もしたが、それにしては大きい上の軽く、微かに振って見るが、何か音がする訳でもない。一体なんだろうともうも、時計をふと見上げれば、もうじき、来るのではないかという時刻。

「……何、あたし、緊張してるのよ」

部屋だって掃除しているし、キッチンも片付けているし、それに、料理だってエステルが味見してくれているから、大丈夫なはず。後、何かあったかしら。一つ、一つをさも実験手順を確認するかのように、チェックしていた。



そして、リタ曰く「普段が、アレだから、アレ」な人物が居た。閑散と静まり返った職員室にキーボードを打つ音だけが響いている。そして、その職員室に向かう白衣を纏った蒼い髪の美女の存在に、その人物は気が付く筈もない。

「おじさま」

あーでもない、こーでもないと一人、パソコンのモニター画面に向かって一人呟いていたレイヴンの背後、誰も居ないと思っていた職員室のドアの向こう側に、学園随一の美女が微笑んでいる。
びっくりさせないでよ。それよりも、今日の一日どこで気配隠してたの。
そう思うのも仕方ない。冬休みに入り、当直の教師以外、見当たらない程に学園内は静まり返っている。しかも、もう夕刻。気が付けば、随分と日没が早く、薄暗くなる空が広がっている。

「なんだ。ジュディスちゃんなの。驚かせないでよ」
「お疲れ様。今日もだったの?」
「そうよ。ちょいとね、書き物が溜まってたから。そういうジュディスちゃんもじゃない。こんな美女が今日みたいな日に仕事だなんて、世の中、おかしいんじゃない?」
「あら、じゃあ、誘ってくれる?」
「……え?」

腕組をして、にっこりと微笑んだ赤い唇。男なら一度は連れて歩きたいと思うような美貌だが、悪魔に見えて仕方ない。レイヴンは無言になるしかないだろう。レイヴンに、予定があるのは分かり切っている。そういう相手が居るのを、この美人保健校医は知っていながら、一見するとたちの悪い冗談をいうのだから。
ジュディスからの返答はなく、ただ、壁に凭れかかり微笑むだけ。

「……やだなあ。ジュディスちゃんなら先約だらけで忙しいんじゃないの?」
「そうでもないのよ。こんな日に当直やってるんだから。おじさま、こそ、今日はスーツだなんてね。これからどこか夜景が見える場所にドライブにでも誘ってくださらない?それとも、その格好なら、さぞかし素敵なレストランでも予約してるのかしら?」
「……ごめんなさい」

素直に白旗。遠まわしな、早く帰れコールにレイヴンはがっくりと肩を落とす。今日のレイヴンと言えば休みだというのに、妙に小ざっぱりとしていると言うべきなのか、普段には見なれないダーク系のスーツなぞ着ていれば、ジュディスには一発で見抜かれていた。そして、それだけ気を使わせているのだろう。彼女とてレイヴンから見れば遥かに歳下である上に同僚とはいえ、リタとレイヴンは秘密の関係である以上、どこか気恥しさも浮かんでくる。

「別に謝らなくてもいいの。仔猫が首を長くしてると思うから、機嫌を損ねない内に、早く、帰りなさいって言いに来たのよ。後の戸締りは私が見ておくから」
「……じゃあ、お言葉に甘えます」
「私、保健室にいるから」
「うん。じゃあ、ここの火の元だけは俺が見ておくから」

パソコンの電源を落しては、やれやれと立ち上がる。

綺麗な顔して冗談きついんだから。

そう思うのも仕方ない。
何かとリタの事を気を掛けてくれているのは嬉しいにしても、どこか俺に対しては攻撃的な時あるんだもんなあ、とレイヴンは妖艶な笑みを湛えている美女を見て思うしかない。
残りの片づけをして、コートを羽織っては、職員室の鍵を渡そうとした時、ジュディスが白衣のポケットから何やら小さな箱を取り出していた。
赤い包装紙に緑色のリボン。大きさから言えばレイヴンの手のひらサイズとでもいえる品物。
一瞬、レイヴンは怪訝そうにその箱とジュディスを見比べる。

「おじさまと仔猫に私からのクリスマスプレゼントよ」
「え?そんな悪いよ。俺、何にも……」
「大したものじゃないわ。二人で使って。それじゃあ、良いクリスマスを、過ごしてね」
「え?ジュ、ジュディスちゃん」

レイヴンの問い掛けを無視したジュディスの白衣が翻る後姿を見送り、暫し、呆然とするしかないだろう。

二人で使ってって、ねえ。

何だろうと思い、振ってみたが、カサカサと音もせずに、軽さから言えば、見当もつかない。レイヴンはどうしたものかと途方に暮れる。
まあ、考えても仕方ないか。取りあえず、何か後でお返しでも考えておきますか。悠長にそんな風に考えては、職員室を後にしていた。

レイヴンが悠長にしていたのも理由があった。今までなら、電車にバスにと、交通機関を利用していたのだが。今、リタの自宅に向かうのはレイヴン自身が運転する車だった。自分へのプレゼントではないが、やはり何かと、車があった方が良いだろうと一念発起して購入したのは古い外国製の車だった。それこそ新車でも良かったのだが、何かと拘りを見せる面がそれを邪魔をした。納車されたのは先週のこと。それは、リタには黙っておいた。それ以前にリタが興味を覚えるとも思っても居なかったのだが、何か、特別な顔を見たいと、思っていた。

サプライズっていうほどじゃないけど、ね。まあ、プレゼントのオマケ、よ。オマケ。

イルミネーションが冬の空を、街に煌めきを与えている。街路樹に取りつけられたアイスブルーとホワイトの電飾がキラキラと輝く中、リタの自宅に向かう道すがら、つい鼻歌まで浮かんでいた自分に苦笑いが零れた。去年までは、いや、この何年もこんな気持ちなど持ち合わせていない。

何だろうねえ。こんな気持ち。

むず痒さすら感じでしまう。黙っていても、口の端が緩んで来る。そこに浮かんでくる少女の笑顔。昔も今も、散々からかっていたけれど、それだって今となっては他愛もない好奇心めいたものと、まだ学園生活に慣れない頃、教師としての職責めいた使命感。その切っ掛けだった。捻くれ者の小柄な女の子。鳶色の髪、少し毛先を跳ねさせたショートカットだったのが、何時の間にか背を覆う程の長い髪になっている。そんな横顔を思い出せば、子供だと思っていた筈なのに、確実に大人に成長をしている。

対象的といえば対象的だよね。俺達。

何気なく、そんな風に思ってしまうのも、信号が赤になった為に一時停止。横断歩道を渡り通行人ですら、何故か、今日だけは特別に急ぎ足のように見えてしまう。カーラジオから流れる音楽すら、囃し立てるかのように甘いラブソングばかり。

本来は家族と過ごす日じゃないの。この国だけよ?こんなに恋人って煽ってんの。

そう思った所で、ぽつりと零れた。

「……家族ねえ」

丁度、若い母親に手を引かれ幼児が慌てて横断歩道を歩いて行った。
赤信号から青に変わった途端、ゆっくりと走りだす車の波が街を駆け抜けて行く。




「……準備は完璧よね?」

料理も大丈夫、掃除は昨日からしっかりしている。どこを見られても大丈夫。そう何度も考えては、落ち着きなく、そわそわとしてしまう。そして、もう一つ、エステル達が残して行ったプレゼントの脇にある店名入りのペーパーバッグが目に入る。レイヴンへのプレゼントを買った帰り道に通りかかった店でつい衝動買い。

「やっぱり……似合わないわよね」

何度となくそう言い聞かせるが、やはり、特別な夜だから身構えてしまうのだろうか。時計を見れば、約束の時間までは、まだ1時間以上もある。手持無沙汰にソファに座りこんでは、溜息を零していたが、やはり気掛かりは、衝動買いした品。がさごそと取り出しては、広げてみていた。
オフタートルのゲージの大きめなざっくりとしたホワイトカラーのミニ丈のニットワンピース。何となく、大人っぽいかなと思いながらも、そういう歳だからいいわよね、と。滅多にそんな女の子らしいなんていう物には興味を覚えない筈なのに買っていた。
それを冷やかされたのは、ほんの一時間前。

『その、袋。あのお店です?』
『え?う、うん。ちょっと立ち寄っただけなのに、ほ、ほら、薦められちゃったから……』
『リタ、着てみてください』
『え?ど、どうしてよ』
『……先生が来るからです?』
『ば、馬鹿っぽい。ど、どうしておっさん何かに』
『顔に書いてますよ?』

エステルと会話中に、やはりその手の事には目敏い彼女には見つけられていた。着て見せてとねだられては、仕方なく試着してみせたが、エステルはリタが思っていた以上に、太鼓判を押してくれていた。

『ねえ、もう良いでしょ。あたし着替える』
『どうしてです?リタ、とっても可愛いです!』
『料理してるんだから、汚しちゃうじゃない』

そんな会話を思い浮かべるも、必死になってエステルは着ろと薦めてきていた。
やっぱり、着ようかしら。エステルだって可愛いって言ってくれたんだもの。それに、そうよね。こんな風に誰かと過ごすなんて初めてだもの。
そして、くすり、と僅かに微笑んだ。
昔のあたしから、想像も出来ない。こんな、女の子らしいこと。


姿見の前に立つと、どこか見なれない自分がいたように思う。自然と伸ばし始めた髪。化粧こそしていないけれど、着なれないワンピースは、少し丈が短く大学部で見かけた大人っぽい学生達がきていたのとよく似ているようだった。だが、その大学生達からみれば、相当幼く見えた。彼女たちと言えば、僅か2,3歳程度しか変わらないだろうが、随分と大人びて見えた記憶が蘇る。決定的に何かが違うと思う。

やっぱり、メイクぐらいした方が良いかしら。

と、思うが同年代より少しばかりその手の事に疎い事も手伝ってか、自宅にある物といえば、せいぜい基礎化粧品程度。下手に塗りたくりよりも、この方がまだあたしらしいわね、と諦めていたが、インターホンが鳴る。

「おっさんにしては、早いわよね?」

勧誘だろうか、と思うも急ぎ足で玄関まで来てみれば、先程までの声がしていた。

「リタ、ごめんなさい。私、忘れものしたみたいです」
「なんだ、エステル……」

そう言いかけて扉を開けた時、エステルは少し驚いた顔を見せていた。一瞬、何かしたっけ?と思うリタだったが、その視線に我に変える。

「あ、あの、これ。ただ着てみただけだから!」

何を言い訳しているんだろうと思うも、親友の驚いた顔に気恥しさが浮かんでくる。彼女の方といえば、淡い色のセーターに黒のミニスカート。白いコート姿ですらも、以前と比べて大人っぽい雰囲気が包んでいるようだった。

「可愛いです!」

目を輝かせてリタに飛びついて来た親友に抱きしめられては、リタは呆然とするしかない。

「リタ、とーっても可愛いです!」

そんな念押ししなくても、とは思うのだが。さすがに、可愛い、と二度も力説するかのように言われて「ありがと」とは小さく呟いた。

「折角だから……ちょっとだけ、お化粧します?」
「は?あんたユーリ待たせてるんでしょ」
「ユーリは、大丈夫です」
「車の中で料理食べられるわよ」
「……そうですね。あ、少し待って貰うように言ってきますから」

慌てて踵を返した親友をリタは待ってと言ったのだが、聞こえていないようだった。




何を緊張してんだ、俺は。

リタの自宅マンションが見える近所にあるコインパーキングに車を停車させたまではよかった。約束の時間まではまだある。メールでもして様子を聞いてみようか、ひょっとするとエステルが居るのではないか、と思うが、それすらも出来ないでいる。ジャケットの内ポケットから取り出した携帯画面を眺めていたが、溜息が一つ。普段の様に、「何か買う物ある?」とでも連絡するだけでもいいのに、それすら、他人事のように構えているずるいもう一人が億劫だね、と邪魔をしている。リタからの着信があるかも、と考えるが、元々、リタからのメールにしても早々ないこと。

「どうしたのよ?俺様」

ハンドルに突っ伏すかのようにしては、呟くしかない。何故かプレッシャーなど感じたことのない筈なのに重みが肩に圧し掛かるようだった。ただ気遅れと言うのとは違い、どこか気恥しさに似たむず痒いような、くすぐったいような、そして、何故か緊張感。大きな溜息を吐いては、助手席に放り投げていた黒い鞄を持ち車を降りていた。

いやいや、普通にしてればいいんだから。変に緊張なんてしてたら、リタっちの方が身構えちゃうじゃない。

それほど、駐車場からマンションまでの距離がある訳でもく、まだ約束の時間には余裕がある。仕方なく、マンション周辺をうろつくのも既に数週目。これでは、不審者として通報されかねない。それでなくとも年末の冷たい風が、ある意味、物理的にも身に凍みて来る。どこか店で、時間でも潰そうと思うも閑静な住宅街であるからして、そんな場所もなく、ついに覚悟を決めた。
マンションのエントランスに一歩踏み込むと、大理石調の床が冷たい印象を与える。暗証番号を入力しないと入れないというセキリュティシステムを前に、既に暗記済みの番号を入力しては、管理人室前を通るのだが、それすらも、何故か緊張が走る。
確かに教師と生徒の恋愛など、露見してしまえば、教師は、良くてどこか関連機関とでも閑職に飛ばされるか、最悪解雇。生徒に至っては退学の上、大学部進学推薦も取り消しだろう。それでなくとも伝統私立校であるが故にスキャンダルの類は御法度。
今更ながらに、そんな危ない関係を続けることに、レイヴン自身が愕然としつつも、だって仕方ないじゃない。好きなんだもの、と言い訳めいた想いが湧きあがる。

クリスマスイブぐらい二人でさ、過ごしたっていいじゃないの。俺だってそれぐらいの権利……ああ、そうか。まともに過ごしたことなんて無かったもんな。俺。

この年齢までと苦笑いが零れるも、仕方ないと言えば仕方ない。遊び相手と言うような関係の恋人は嘗て居たけれど、それすらも本気だったのか?と問われると、自信すらもない相手だった。何時の間にか始まって、何時の間にか終わっていた。そんな関係ばかり。後腐れがないような相手ばかりだったから。
リタに告げれば、それこそ軽薄の色を浮かべて睨まれるような恋愛しかしてこなかった。
そんな男が緊張している。
己の滑稽さにレイヴンが肩を落としながらも、苦笑いを浮かべるのも仕方ないだろう。



三度目にインターホンが鳴った時、リタはビクッとしてはおそるおそる玄関の方を見つめていた。エステルが帰った後、暫く、ぼんやりとしていたのだが、ごくりと唾を飲み込んでは、まるで何か決意を決め挑むかのように重い腰を上げた。

どこかでかけたのかな?とレイヴンが思っていた所に、施錠していた鍵を開ける音がしていた。

「ごめんね。遅くな……」

扉が開いた瞬間。遅れた訳ではないが、一応そういう決まり事でもあるかのように平静を装ってはいたのだが、そこに現れたリタに言葉を失う。
白いニットワンピース姿までは想像出来たとしても、緩く結い上げた髪、後れ毛がふわりと纏う首筋。何よりもほんのりと色付いた口元に多少なりとも違和感。

あれ?リタっち、だよね?俺、部屋間違えてないよね?

思わず動揺。頬をつねるほどでもないが、瞼を二、三度瞬かせてみるが、目の前に居るのは確かにリタ自身。
元々細い上に小柄な肢体を包んでいるようにも見えるニットワンピース姿は、得てしてみれば、子供っぽさを強調していたかもしれないが、やはり、何だろう?と思わされる感覚にレイヴン自身、戸惑いを覚えていた。

「な、な、何よ。早く、入んなさいよ」
「え?あ、うん」

言葉を失い、一見、人を吟味するかにような視線を送るようにリタには見えたらしい。レイヴンからしてみれば珍しく動揺を晒しているも、リタ自身と言えば、何か言われるとは覚悟していた為に、ただ無言で立ち尽くすレイヴンに些かむっとした表情を浮かべている。
そんなリタの雰囲気が曇ったことを素早く察知する辺りは何時ものレイヴンだったが。

「……あ、は、入っても良い?」
「……だから、早く上がれば良いじゃない。外、寒いんだから」
「はーい。お邪魔します……」

リタといえば、肩透かしな気分。気合を入れた訳でもないが、それなりにリタとしては初めてするようなメイクともいえるような姿。エステルが手持ちのメイク道具で急ごしらえだったとしても、それを納得していただけに、からかって来ることはあったとしても無言で立ち尽くされるとは想定外。

絶対、何か言って来るっておもったのに。やっぱり、似合ってないから言いにくいのかな。おっさんも一応はあたしが気にすると思ってるのかしら。

それでなくとも、リタのことをお子様だの、と意地悪く笑みを零しながら冷やかすのは得意。そして、それに怒っていたような関係の二人だけに、リタとしても納得がゆかない。
靴を脱いだまではいいが、レイヴンといえばリタの背後、動こうとしている気配がない。怪訝そうに振り返っては、「どうしたのよ?」と小首を傾げるしかない。
どこか温和ともいえる眼差しをしては、レイヴンは、顎に手をやり暫し考えごとをしていたかのように立ち止まった。

「……リタっち、その、化粧してんの?」

やっぱり、からかう気なんだ。

「ちょっとだけよ。エステルがしてくれたから」

見られたくなくて、顔を背けていた。
だから似合わないっていったのに。
親友を恨むのはお門違いだと分かっている。何か告げられるにしても、どこかで期待していた分だけ落胆の色を隠しきれないでいた。化粧といっても目元とグロスを軽く塗った程度。それ程、変わっていないと思われたのだが、そこはさすが女性博愛主義と豪語していただけあって目敏い。

「……あーいや、その」
「どうせ、似合ってないんでしょ」
「そうじゃなくって。大人っぽいから、さ。俺、吃驚して。ごめん」

だから、どうして謝るのだろうと思うのだが、無言を選んでいたのではなく、言葉が出ない程に驚いてレイヴンの顔を見つめると、照れているようにも思えた。男性にしては長髪で一つに無造作に結えているせいか、僅かに見える耳がほんのりと赤い。
はにかむような、それでいて、どこか優しげに微笑むような表情を浮かべては、柔らかな声音がリタに届けられる。

「……うん、綺麗だから」

襟足を掻きながら、リタの視線を逸らすかのように床に目を落している。美人と見ればヘラヘラとして軽口を叩くレイヴンからしてみれば、思わぬ言葉だった。

ほんと、どうしちゃったのよ。俺様。まるで10代のガキじゃないの。

遥かに歳下、しかも、少女とでもいえるリタを見て、言葉が出ないなんて、と一人ごちるのだが、浮ついた言葉が出ないからこそ、それだけ意表を突かれたと言うべきなのだろうか。

ほんと、子供だと思っていたら何時の間にかねえ。

元々、あどけない顔立ち。童顔と言っても差しさわりが無いだろうが、それでも、今、自分の目の前にいるリタといえば、女の子ではなく一人の女性としても見れるだろう。

「……あ、ありがと」

そして、一方のリタといえば、レイヴンが何時もと違い、妙に照れの入り混じった表情を浮かべ、朴訥ともいえる言葉の欠片に動揺を隠しきれないでいる。普段ならこれ幸いとふざけた口調。それこそ「あらー馬子にも衣装なの」と言って来るばかりと覚悟をしていただけにリタも言葉少なにレイヴンを見つめるしかない。
それに、おっさんだって今日はどうしたのよ。この間みたいなスーツなんて着てるから誰かと思ったじゃない。髪といえば、無造作に結えているが、それでも普段に比べれば、その跳ね具合もまだ幾分大人しく思える。スーツ姿は、それなりに見馴れつつあるにしても、やはり、畏まっているようで、どこか別人にも思える。

「ごめん。ほんと気の効いた事言えなくて」

再び、別に謝らなくてもいいのに、とは思うリタだったが、妙にお互い気恥しさが浮かんでいる。

「お、おっさんらしくないわよ」
「……そうだね。その、吃驚するぐらい綺麗だから」
「……そんなに違って見えるの?」
「んーもうお子様なんて言えないわ」
「……当たり前でしょ。あたし、もう18歳なんだから」

ふっと目を細め口元を緩めるたレイヴンだったが、リタもその笑顔に真意だろうと感じとっていた。照れ隠しに口癖がつい零れてしまうも、気恥しさから小声になっていた。



鍋の用意をする間、リタはリビングでソファに座っているレイヴンにエステル達からのプレゼントについて話をしていた。

「で、それなの?青年達からって」
「うん。おっさんが来てから、開けろって念押しされてたんだけど」

キッチンから、細々としたものを運びながら、リタはレイヴンの手前に座った。レイヴンも、怪訝そうに箱を見つめていた。大きさから言えば、値も張るのだろうかと、些か、不安が過るのはユーリの彼女であるエステルがスポンサーではないか、という点であろう。

「嬢ちゃんが選んでたら、結構良いものかもね……」

そんな不安をリタも読み取っていたのか、こちらも少し困り顔になっている。それでなくとも有名ブランド店のロゴが箱押しされている。

「そうよね。あの子、カード使ってたら訳分かんない買い物の仕方するから」
「……そんなに酷いの?」
「そういう馬鹿な買い物の仕方する訳じゃないけど、ほら、あたし達と買い物する時はそれなりのお店しか行かないけど、エステルが、ふらっと立ち寄るようなとこ、あたし、怖くて入れないわよ」
「まあ、ねえ。嬢ちゃんだと」

青年も苦労するわよ?あんな超が付くお嬢様だとね。とは言えないが。

「まあ、いいさ。開けてみてよ」

「うん」と頷いたリタががさがさと紙包みを開けていた。

「凄く可愛い」と、弾んだ声がしたのはよかったが、「どれどれ、何なの?」と覗きこんだ方と視線があえば、ほんのりと赤く染まっている。

「ペアのパジャマってね……あいつら」

力なくレイヴンが項垂れた。寄りによって元教え子たちからのプレゼントがお揃いの品物はチェック柄の冬素材の男女用。肌さわりも良さそうだが、何よりもそれ自体が夫婦だの恋人というような贈り物としては象徴的な品物だけに、手の込んだ嫌がらせ、いや、冷やかしにも思えた。各言う、レイヴンとて常には冷やかしやらからかいを得意としているだけに一本取られたとしか思うしかない。

青年、覚えておきなさいよ。全く、嬢ちゃんだね、これ選んだの。あのお姫さん、何気に毒気のあることやってくれるんだから。

どう考えても、この手の品選びのセンスといえばエステルだろうが。誰が全くあの箱入り娘を唆したのだろう、と思えばその相手は自ずと分かるだけに、照れすらも浮かんでくる。
いかん。目が据わるじゃない。
そう思い起こした時、そういえば、と思い出していた。

「あ、俺もジュディスちゃんから貰ってたわ。リタっちと俺にって」
「ジュディスから?」

「そうなのよ」とレイヴンはソファの横に置いていたカバンから取り出していた。興味深々に覗き込んで来るリタに、こういう目は子供っぽい部分だよな、とどこかで安心している。

「ねえ、開けても良い?」
「どうぞ、いいよ」

何かしら?と期待しているリタだったが、きょとんとした顔を見せた。包装紙から出てきたのは可愛らしい、それこそ女子高生が好みそうなパッケージをした長方形の箱だった。そんな様子をレイヴンも眺めていたのだったが、箱を開けた途端、レイヴンは手で顔を覆った。

「何、これ?」

リタが怪訝そうに、銀色のフィルムに梱包された正方形の小さな包み。それ相応の年齢の大人と呼ばれる人種であるなら、一度や二度程度、いや、それ以上に見かけることもある品。それを指先で挟みこんで眺めている。その様子の、ある意味、純粋無垢さが恨めしい。いや、何か淫靡な光景にすら見えてしまい、レイヴンはリタを直視出来ないでいた。手近にあったクッションを抱かかえては顔を埋めた。自然と顔が熱くなる。それこそ、その感情から言えば、羞恥など早々感じるような年齢でもないのだが。

ジュディスちゃん、何ていう物寄こすのよ。

そのままソファに横たわり、撃沈と言った具合で精根尽き果てたのはレイヴンだった。そんな光景をリタは不思議そうに見つめては、指先で弄ぶかのように、両面を見比べている。小首を傾けては、じっと眺める仕草。横目でチラリと盗み見たが、その光景が余りにも毒過ぎた。そして、その視線に勘付いたリタがレイヴンを見ている。

「……ねえ、おっさん、これ?」

しかも、リタといえばそれが何かであるか分かっていなさそうだった。はあ、と大袈裟、芝居がかった溜息を吐いて、レイヴンは起き上がっていた。さて、どう説明するか、いや、それ以前にと思うしかない。

あなた、保健体育の授業寝てたの?いや、それよりも、絶対、ジュディスちゃんの最大級な牽制球じゃないの、これ。

そんなレイヴンの思惑など何も感じていないリタだったが、箱に何やら書いていある文字を見つけたらしい。

「あ、説明書きあるのね……」

暫く、それをじっくり読んでいたリタだったが、それが何であるか理解したらしい。情けない声、それこそ間抜けな仔猫が遊びに夢中になっては深みに嵌り込んで出れないと親猫を探すかのようなか細い声がリタから漏れた。

「お……おっさん、これ……って、あ、あれなの?」

動揺どころかではないリタの声に虚脱状態から脱したレイヴンだったが、リタといえば赤面どころではなかった。それこそ、半べそ。刺激が強すぎた。初めて見るのだろうか、大きな瞳が今にも恥かしさから泣き出しそうに歪んでいる。

「……はい。それです……もお、ジュディスちゃんってば……どおりで『二人で使って』なんて言い出す筈だわ」
「ふ、二人でって、そんな……い、言わないでよ。恥かしいじゃない」
「じゃあ、どうしろって言うのよ」
「……どうしよう」
「あーもう、リタっち、そんな泣きそうな顔しないの。ジュディスちゃんには、後でよく言い聞かせておくから」
「それも言うなあ!」

暫く、お互いにそれを眺めつつ、盛大に溜息をつくしかない。ジュディス本来の立場から言えば、保健校医でもあるからして、その手の事を示唆と言うべきなのか注意喚起する意味もあったのだろう。クリスマスイブが、恋人と過ごす時間であるなら、と。いや、過ごすのがあるのなら、注意しろとでも言うべきなのか。からかいなのか本気なのか、よく分からない。それでなくともジュディスの本心はリタどころかレイヴンにしても未だ持って不明、謎な部分が多過ぎた。

「ジュディスちゃんにしろ、青年達も、ほんと俺様のこと甚振ってくれるわ」

身から出た錆なんてものも浮かぶが、それほど酷い仕打ちをした記憶もないのだが、とレイヴンは項垂れるしかない。ほとほと、周囲が、どう見ているか思い知らされた。

「……おっさんは嬉しくないの?」

だが、意外な言葉にレイヴンは、おや?とリタを見ていた。プレゼントに視線を移しては、薄い桜色の唇が穏やかな笑みを浮かび上がらせている。

「……嬉しいっていうか、まあ、その……ね。あいつら、半分からかいの意味もあるでしょーに、これ」
「……それは、そうだけど」

あ、俺なんか不味い事言ったかな。と、やや焦り気味になる。リタの眉間に浮かんだ皺がやや険しさを物語っていた。

「あ、あたしは嬉しいわよ。そ、その、ジュディスからの物は、そ、その論外だし、恥かしいけど……エステルからは、ね」

早口でそう告げては、レイヴンに一度だけ視線を移していた。大きな翠色の瞳がレイヴンを見つめては、穏やかな声音。

「だって、あたし達のことお祝いしてくれてるんだもの。そうじゃない?」
「……まあ、そう言われるとね」

視線をリタからは逸らしては、仕方ないかと溜息、といいながらも、レイヴンもやはりどこか嬉しさが零れた。

ああ、そうだよね。気にしてるんだもの。後少しとは、いえ正々堂々とは出来ない関係だもの。つい、忘れがちになるけれど。

それでなくとも、この部屋を訪れる際に味わっていた緊張感を思い出せば、そうだったと思うしかないだろう。

「誰にも言えない関係だけど、誰かに言いたいの……だって、おっさんのこと好きだって、ね」

さらりと、好きだと言葉にしているリタは、恥かしげに笑っていたが、その笑みは未だ嘗て見なかったものだろう。好きだとは、何度か言われているにしても、その時と言えば、逆切れもいい所だといわんばかりに、真っ赤になり怒っている時、そして、感情の振り幅が大きくなり、泣きじゃなくるかのように寂しさの耐えきれないと訴えてきた時だった。こんな穏やかに告げられるのは、初めてだった。

ほんと、何時の間にそんな笑顔作る、いや、出来るようになったのよ。

少女から大人への変換期とでも言えばいいのか、少しだけ寂しさも募る。からかっては顔を真っ赤にしては怒っていた姿が浮かんでくるも、そんな子供っぽさを見せない、柔らかな笑み。

「何よ」
「え?あ?いや、そのね」

レイヴンが、そう思っていた僅かな瞬間だが、リタはまた表情を変えていた。今度は幾分、雲行の怪しげな皺が眉間に浮かんでいる。
仕方ないわ、白状しちゃいますか。
レイヴンが肩を竦めては、遠くを見つめるかのような眼差しをリタに向けた。

「……リタっちがさ、何だか大人になって行くな、って」
「大人って……?」
「うん。今日みたいな格好もだけどさ、今、笑った顔とか、ね」
「あ、あたしは、そんな……」
「昔たって、リタっちが転校してきた頃なんてさ、俺様のこと胡散臭いとかいって警戒しまくってたじゃない」
「だって、あの時はおっさん、あたしのことからかってばっかり……」
「だから、そういうからかいもね。出来なくなるような気がしてんの。リタっちが大人になれば、ね。余裕で笑ってそうだって、思ったのよ。ムキになって言い返して来るとこも、お気に入りだから」

レイヴンの告白ともいえる言葉に、リタは「そうなのかな?」とだけ呟いていた。

「でも、あたしは別に変わってないわよ?」
「うん、基本はね。意地っ張りで負けん気は強くて口は悪いけど」
「もう、あたし、そんな性格悪くないわよ」
「そっかなあ?すぐにムキになる癖に」
「それは、おっさんがそう仕向けるからでしょ」

片目を閉じて笑って見せるレイヴンにリタは、軽く肩を叩くけれど、「その仕草だって、ほらね」とレイヴンは告げた。
リタの腕をとっては、そっと抱き寄せるかのようにして、唇を重ね合わようかと顔を見つめる。だが、それは唇ではなく、額に静かに落されていた。
僅かだが、リタから落胆と非難めいた声が零れた。

「……キスするかと思ったのに」
「だって、折角の口紅落ちちゃうかもしれないから」
「馬鹿っぽい」

抱き締められてぽつり呟くリタの項は赤く染まっている。

「可愛いんだもの。仕方ないでしょ」

ぎゅっと抱きしめては、軽口を叩いてみるけれど、そっとリタが忍び見るように見上げた顔は、穏やかで優しいものだった。そして、またレイヴンも思うこと。

「俺、ほんと贅沢ものだねえ」
「……どういう意味よ」
「リタっちみたいな女の子が、こうして傍にいてくれるから」
「……ずっと、一緒にいるんじゃなかったの?」

「そうだね、そうだよ。うん」と頷くレイヴンにリタは幸せそうな笑顔を浮かべていた、心の底からの。
その笑顔を見守りつつ、レイヴンは思っていた。
寂しがり屋同士だから、こうして引き合わせてくれた運命なんてものに僅かながらにも感謝。
そして、腕の中にいる少女が、泣きながら告げた想いは、既に半年以上も前になろうとしている。
互いに一人きりで抱えてきた寂しさを、この時ばかりは微笑みに変えてくれる、こんな、夜に願う。

──何時までも、何時までも、俺の者で居てよね。俺の傍に居てよね。

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