HOME

TEXT

つまりはまぁ、好きってことでして







「やっぱり、居ないわよね……」

がらんとした科学教室、そして、その隣に併設されている部屋の扉を開けての第一声。何故か、がっかりしては肩を落としてた。何時もなら、「あら、来たの」なんて振り返っては、あたしからみれば軽薄って言うのか、お調子者みたいな笑顔で出迎えてくれるレイヴン先生。あたしは勝手におっさんなんて呼んでるけど、その、おっさんが居ない。まあ、それもその筈なのよね。テスト前だから部活も当分休み。そんなのは、学園創立以来の天才少女なんて言われるあたしには関係ないけど、おっさんも一応は先生だから、テスト前は何かと忙しいみたいでこの所、この部屋にも不在気味。

おっさんの白衣だけが、椅子の上に掛けられてた。多分、職員室かしら。

この部屋といっても教室じゃなく、おっさんの受け持ち小部屋っていうのか、科学技官室。狭い部屋だから、おっさん専用の机とあたしが持ち込んだ椅子、それに何故か小型冷蔵庫やら、その上にはコーヒーメーカーだの、ごちゃごちゃとした常備食やらおっさんが高長室からくすねて来た簡易ベッドにもなるような豪華な革張りのソファまであるから、ちょっとした生活空間みたいになってる。そして、壁は本棚が備え付けられては所狭しと並べられた学術書の類で覆い尽くされてる。管理が必要な薬剤なんかまであるから独特な香りまでするのだけど、意外と気に入っているのよね、あたし、この部屋。だから、あたしも珍しくこの場所で試験勉強開始とばかりに、おっさんの机を拝借。苦手な教科は一応目を通しておいた方が良いわよね。

「古典なんてやったって意味ないじゃない」

数分も経たずにそんなぼやきと共にノートの上にポンとシャープペンを投げ出してた。文系が苦手っていうんじゃなく暗記しなきゃっていうのが苦手。理系も暗記物ばかりだけど、好きな教科だから自然と頭に入ってくる。それに、ほんとは図書室でやってもいいんだけど、何故か、ここに来てしまう。春の終わりに転校して、もうじき半年。秋も終わり、もうじき冬が近付いて来る季節。まだ、そんなに学校にも馴染めていない頃、おっさんに、この部屋に誘われた。青いブレザーの中に一人、セーラー服のあたしに声を掛けて来たのは、転校生っていうあたしが物珍しく無くなりかけてた頃。丁度、雨の季節。同級生たって、前に学校よりかは、多少、ランクが落ちるものだからそんなに気の合うような子もいない。そもそも、前の学校だって、成績は入学以来、常にトップ。周囲は勝手にライバル視してたけれど、そんなあたしに勝てる生徒なんて居ないから、自然と小馬鹿にしてたのよね。その癖、あたしに近寄って来る時は、何か企んでたりしてた。大抵は、あたしを妬んでのこと。そんな同級生達なんて信用できないし、退屈な授業ばかり。既に分かってるような時間で勝手に勉強を進めてるあたしだから、先生達だって遠巻きに見てるような状態。だから、この学校だって同じだって思ってた。

『あら、こんなとこで謎の転校生、美少女が一人佇んでるなんてね』

しとしと降り続く雨にうんざりとして、廊下から外を眺めてた時。いきなり背後から声掛けられたのよね。振り返れば、どこかで見たようなとは思うけど、学校だから先生には違いないけれど、それでも、その風体に、あたし、警戒してた。先生らしくない、長髪でぼさぼさの髪。私立校だからきちんとした服装の多い先生ばかりなのに、だらしないシャツの着方してる、それだけでもあたしの目が鋭くなってた。白衣を着てなきゃ即大声で叫んでたわよ。だって、あたしを見ては薄ら笑い。眼鏡の奥にある目が、なんだか胡散臭くて信用出来ないって、本能的に警戒、ほんとに最悪な第一印象。

『暇なら、科学技官室まで来ない?』
『は?あんた……誰よ?』
『モルディオちゃんの物理担当でしょ。何時も授業中寝てるから、学園のスーパーアイドルレイヴン先生の顔覚えてないの?』
『あんたの授業、つまんないのよ』

モルディオちゃんなんていう言い方もふざけ過ぎて、随分と苛立ってた。だから、きつい口調で素知らぬ顔。そう、何時だってこんな感じ。愛想なんて振りまくほど性格がお目出度くないのよ。あたしが信用出来るのは公式とか勉強っていう、あたしの知識欲だけを納得させてくれるものだけ。でも、おっさんは立ち去らずに、あたしの横に背を持たせかけては、まだ話しかけて来てた。

『まあ、そう言わずにさ。モルディオちゃん、頭良いから、ちょっと入試問題解いてみない?』
『はあ?なんで、あたしが……それに、そのモルディオちゃんって辞めてよね』
『おや、解けないの?三年の生徒会長さんはすんなり解けてたわよ?さすが、学年トップだわー』
『バ、バカにしないでよ。あたしを誰だと思ってるの』
『じゃあ、俺様のとこ、おいでよ。特別講師してあげるから……モル……うーん、じゃあリタっち』

それが切っ掛け。まんまとおっさんの術中に嵌ってた。しかも、リタっちなんて思い付きで付けられた。呼び名。それだって最初は嫌がっていたけれど、そう呼ばれる内に諦めてしまったけれど。でも、本当は違ってた。あの部屋にたむろする内に、大切な親友っていう女の子が出来て、仲間っていえる友達が出来た。ついでにだけど、あたしのことを理解してくれる先生たちも何人かいる。おっさんは、その一番の理解者っていうとおおげさかもしれないけれど、実験に夢中になっても何も言わずに好きなようにさせてくれる。

あたしにとっては、今、一番居心地のいい場所。

ただ、もう一か所あるのよね。お気に入りの場所──親友のエステル達がいる生徒会室。でも、今日は何故か中等部のパティが乱入して、それを止めに来たカロルやらで大騒ぎしてたから、さすがのあたしも勉強どころじゃないっていうので逃げ出してた。ユーリに熱あげてるパティが高等部に乱入してくるのは、何時もの事だけど、中等部だって試験期間じゃないの?ま、そんなのはどうでもいいわよね。どうせ、エステルが宥め賺して、中等部までカロルと送って行くのは常のことだし。だから、早々に退散していた。あんまりに騒がしくって、さすがのあたしも集中力が続かない。

何時の頃からか、おっさんと居るのが当たり前になってる。

前は生徒会室でたむろしてる時間もあったけど、科学部に誘われてからは、ずっとこの調子。その科学部だって、部員はあたし一人っていう状況なんだけど、それだって本当は一人でいるのが好きなあたしにとっては静かな時間だから、結構お気に入りな時間なんだけど。

でも、不思議。真剣に実験している時、おっさんは殆ど声を掛けてこない。ふと手を止めた時、何故か視線を感じて、我に返ると、おっさんがあたしを見つめてるなんていう時がある。
それが、最近、引っ掛かってる。棘っていうんじゃないけど、頭の片隅で何か違和感を覚えさせてる。
何時だったけ。そんな視線に勘付き始めた頃。あれも、実験の最中だったのよね。化合物を取り出すっていうような実験してた最中。火力調整に手間取ってたから微調整を繰り返していた。苛立つ気持ちに焦ったら駄目って言い聞かせてたけれど、どうしても上手くいかなくて、溜息を零しては我に返ってたっていうのか、その瞬間、あたし、それに気がついたの。

『何、見てるのよ』
『へ?ああ、実験どう?』
『あたしが失敗でもすると思ってるの?』
『まさか。でもさ、それ、もう少し炎の角度変えた方が良いよ。きちんと結晶取り出すのなら、ね』
『……あんたもたまには教師らしい事言うのね』
『……おっさん、仮にも教師歴十年以上あるのよ』

そんな感じで、最初は馬鹿にしてるのかと思って、眉間に皺も浮かんでたけど、たまには先生らしく指導とかもしてくれるし、その、何ていうのが、あたしを見つめる視線が陽だまりで寛いでる犬みたいに無防備で優しい。でも、目があった途端に挙動不審になるのは、どうしてなんだろう。それこそ、見つめてたのが恥ずかしいのか、悪戯がばれて焦ってる子供みたいに狼狽してるのよね。その全てが、他の子達には見せない視線みたいで、あたしも気になってる。

ねえ、これって……何なの?

ううん。そんなことより、勉強と思ったけど。駄目みたい。早くも眠気。午後の体育が響いているのかしら。何となく、あくびが出てた。こんな時、おっさんが眠気覚ましだとか言いながら、お砂糖たっぷりの甘いコーヒー淹れてくれるものね。

「たまには、あたしも淹れようかしら」

そう思って立ち上がっては、コーヒーを淹れる準備。こぽこぽとサイフォンから滴るコーヒーの黒っぽい液体がぽたり、ぽたりと落ち始めると同時に香ばしい香りが室内に広がっているから、何となく、眠気もどこか薄れて行く感じ。そういえば、「お子様」ってからかうのよね。
何時だったか、そんな会話。小休憩とばかりに、おっさんが淹れてくれたマグを受け取りながら、おっさんも自分専用のマグを片手に、コーヒーって言えるのかどうかも怪しくなってる甘さになってる。それを、呑んでたあたしに言ったもの。

『はい、おっさん特製の超甘いお子様仕様よ』
『失礼ね、お子様仕様だなんて』
『ミルクに砂糖3杯で、お子様じゃなければ何なのよ』

ムッとしたあたしを見ては、目尻を下げて、さも楽しげに笑ってるおっさん。緩んだ笑顔。胡散臭い影が消えて、年よりも若く見えるっていうのか子供っぽく見える瞬間。

『そんな何にも入れないと胃に悪いわよ』

別に、おっさんを気遣う訳じゃないけど、反論してた。子供扱いされたのが悔しいっていうのもあるけど。

『胃が悪くなるほどは飲んでないから、それにこういう苦みが分かるのが大人なのよ』
『子供で結構よ、まだ』
『じゃあ、早く分かるようになればいいんじゃない?』
『そんなに急いで大人にならなくたって、いいわよ』
『そう?俺様は早く大人になって貰いたいけど、ね』
『どうせ子供っぽいって言いたいんでしょ』

何気なく言った言葉だったけれど、そういえば、何故かおっさん、渋い顔してたわよね。珍しく、眉間を顰めてた。ほんの一瞬だけど、あたしてっきりコーヒーが熱くて、そんな顔したのかと思ったけれど。……どういう意味なの?あの時は、言えなかったけれど、あたしだって早く大人になりたいって思ってたわ。前の学校に居る時までは。ううん、多分、ずっと思っていた。誰にも邪魔されずに何でも自由に出来る大人に。今は子供だから様々事で制約がある。でも、気が付かされた。親友やおっさんとこうしてゆっくりとこの時間を過ごして行きたい。やがて、離れる場所だから、と思えば少しだけ切なくて寂しくなるほど。だから、今はそんな風には思っていない。

ねえ、でも『早く大人に』なんて、どうして言うの?

そんな事言われても、後2年もすれば卒業だもの。18歳になって、その次は二十歳になれば、嫌でも大人になる日はやって来るわよ。外見はどう変化してるか分からないけど、でも、ほんとに……それってどういう意味なの?
こんな難問は初めて。答えなんてあってないわよ。どんな公式だって当てはまらない。一つ、溜息が零れてた。


「あれ?リタっち来てたの?」

そんなあたしの思考を遮る声。扉が開く音が居たと思えば、ちょっと驚いたような表情を浮かべたおっさんが立っていた。いつもの格好。黒っぽいシャツに、同色のパンツ。珍しいのは白衣を着用してないぐらいかしら。だから、その胸元、ボタン締めればいいのに。太い首の喉仏とか、だらしくなく開けてる胸元とかちらちら見せつける。まあ、見せつけられた所で何か思う訳じゃないんだけど。

「生徒会室煩いし、図書室も先生が早々に居なくなったから、追い出されたの。それより、おっさんこそ、どうしたの?」
「おや、コーヒー淹れてたの?おっさんにもちょうだいよ」

図書室を追い出されたのは嘘だけど……何となく、ここに足が向いてたもの。でも、あたしの質問無視なのね。まあ、たまにはね、おっさんの希望も聞き入れてあげなきゃね。これぐらいはサービスしてあげるわよ。

「わかったわよ。後少しで入るから、そこ座ってれば?」
「……ま、10分ぐらいなら大丈夫か」

腕時計をちらっと見てたおっさん。そんなに忙しいのかしら。ごぽごぽと最後の水が蒸留される音がしては、あたしは、おっさんとあたし専用、それぞれのマグカップ。赤はあたし、おっさんは紫色のプレーンな形。おっさんは、自分の椅子に座って、あたしが淹れるのを何となくだけど、嬉しそうな気配を消さずに見てる。そんなに嬉しいのなら、たまには淹れてあげようかしら。二つのカップにコーヒーが注がれて、お砂糖って思ったけど、手が止まった。何となくだけど、今日は何にも淹れないで飲んでみようかなって、そんなチャレンジっていうのか、小さな努力みたいなものだけど湧き上がってた。

「はい。出来たわよ」
「ありがと。あれ?リタっち、砂糖は?」
「……体育の授業があったから眠気覚ましよ、一応、テスト範囲ぐらいは目を通しておこうかと思って」

おっさんに手渡してた時、やっぱり、気が付いてたのね。目を丸くして、あたしの顔見てる。そ、そんな吃驚する事ないじゃない。何となく、思い付きなんだけど、そういうのも何だか癪だから、咄嗟に嘘が出てた。でも、理由を告げたら、おっさん、何だか「ああ、そっか。そうだよねえ」なんて、何故か自分に言い聞かせるみたいに力無く笑ってる。

「そういや、走り回ってたもんねえ。この糞暑い中」
「そうよ。ルブラン先生、容赦ないんだから」
「そりゃ、仕方ないって、あいつ、ここの体育学部出身だから、生粋の体育会系だもんね」

あたしの渋面に、同調するかのような苦笑い。そういえば、おっさんも昔、学生時代に運動部に入ってたって聞いた事あったわよね。マグカップを持つ、長い指先にその痕跡。たこっていうのか、節くれだった指先だけどところどころ硬くなってる。
あたしは、マグに一口、コーヒーを飲んでた。やっぱり、苦い。でも、おっさんの手前、そんな表情も出来ないから、熱いっていう風に誤魔化しながら知らん顔して飲んでる。
ううっ、苦い。やっぱり。舌がピリピリしそう。たった一口だけど、ほんと眠気も吹っ飛ぶわ。

「おっさんだって、昔はアーチェリー?だったけ?運動部入っていたんでしょ?」
「弓道部。アーチェリーは、新設だったからたまに助っ人」
「へえ……」
「何よ、そのへえ?って」
「……別に。ルブラン先生とは大違いだって、思ったの」
「どういう意味なんだかねえ」

目尻を下げて笑ってる顔。こんな風に息抜きも悪くないわよね。
窓を開けていたから、秋の涼しい風が吹き抜けて、ゆらりとカーテンを揺らしてた。運動部も一部を覗いては殆どが休みになってるから、随分、静かで中庭の木々のざわめきまで聞こえてきそう。
茜色に染まる室内で二人っきり。少しだけ、何かが通り過ぎたみたいに静寂があたし達を取り囲んでる。

心の片隅に引っ掛かってた問題。早く大人になってよ、の意味。訊ねたら教えてくれるかしら。

「ねえ、おっさん、少し前に、あたしに言ったわよね。『早く、大人になってよ』ってどういう意味なの?」
「……ん?」
「忘れたとか言わないでよ」
「え?そ、そんな事言ったっけ?」
「言ったわよ。少し前だけど、あたしの記憶力、忘れてない?」
「え……ええ、だよね」

忘れてないわね。その表情。あたしがじっと見つめてたら、おっさん、目が泳いで耳の後ろを掻いてる。何となくだけど、これ焦ってる時の癖なのよね。まさか、私が覚えてたなんて思ってもいなかったような感じで凄く動揺してるのが手に取るように分かる。

何も言わない、おっさん。何も言えない、あたし。

仕方ないから、また一口。少し冷めかけてるから、苦みが濃くなったような気がしたけれど、不思議と昔みたいに、眉を顰めて飲めないって言う訳じゃないのよね。美味しいって問われると、やっぱり、まだまだ、だけど。

「リタっち、コーヒー、苦くないの?」

やっとのことで喋り出したと思えば、ほらね。すぐそうやって、都合の悪いことは誤魔化す。でも、そんなに悪い事言ったかしら?だから、ピシャリと黙らした。次は質問返しでもしてくるかしら。

「話、はぐらかすな」
「いや、そういう訳じゃないけど……」
「ちょっと、苦いけど。案外、あれね。苦みが少しだけ美味しいって思うの」

美味しいは嘘か。でも、それほど嫌だとは思えない。そうね、砂糖2杯にしたらいいかしら。「ふーん、そっか。コーヒー飲めるようになったのね」ってちょっと考え込んでるようなおっさん。また、話をはぐらかそうとしてるわよね。

「で、どうして『早く、大人になって』なんて言ったのよ?」

トドメとばかりに再度質問してあげた。おっさん、珍しく黙り込んでは、マグを抱えて何か考え込んでる。そして、暫く黙ったまま。うんともすんとも言わなくなった。ことり、と机の上にマグを置いたかと思えば、顎に手をやりながら、さも思考に耽るみたいな表情。

「ねえ、リタっち」

静かにあたしを呼ぶ声。おっさんは立ち上がったかと思えば、あたしの前に屈みこむように胡坐を掻いて座り込んでた。あたしを少しだけ見上げる顔は、珍しいぐらいの真剣な表情。あたしといえば、白衣汚れちゃうんじゃないの、とか場違いな考えが浮かんでたけど。

「どうしたのよ」
「リタっちって、好きな子とかいるの?」
「はあ?何言い出すのよ?」

唐突過ぎて、あたし、呆れた声だしてた。今までこんな露骨っていうのか、何ていうのかよく分かんないけど、超個人的な事なんて聞かれた事なかったのに。たとえ冗談でも初めてだったかもしれない。そういえば、少し前だけど、あたし言った事あるのよね。「いい歳してふらふらしてるから彼女なんていなんでしょ」とかなんとか。何の会話だったか忘れたけれど、その時のおっさんの様子と今、あたしの前で項垂れてるような様子がシンクロしてる。あの時もおっさん、力無く笑ってたのよね。落ち着きの無さは図星だと思ってたから、それ以上は突っ込まなかったけれど。だって、おっさんの噂はあたしだって耳にしていた。特定の人が居ない代わりに、それなりに遊んでるとか。でも、それも疑わしいなって思うようになってたのよね。プライベートなんて興味が無いといえば嘘になってたけど、それでも男の人だし、そんな人もいるんだろうなって以前は思ってた。
一緒にいるうちに気がついたの。
おっさんって、一見、軽薄っぽいけど意外に根は真面目なのよね。あたしが、放課後遅くまで実験に没頭していたら「女の子を夜道一人で歩くなんて危ない」からと駅まで送ってくれたり、夏休みだってそうだったの。あたし、一度、本に夢中になると食事をきちんと採らないから無理やり、あたしを誘ってはご飯食べに連れて行ってくれたりって言っても、ユーリやエステルとかもいたわよ。後で、エステルから「レイヴン先生からリタのこと、たまには誘ってご飯食べさせてあげてね、って言われたんです」とか、後、数えきれないぐらい、あたしのこと生徒として世話を焼いてくれていた。

先生だから職務からなんだろうけど、そんな先生、今まで居なかったもの。それが、あたしは特別だとは思ってなかった。ユーリのことだってそうだったの。ユーリ自身はそんな自分から喧嘩を売るタイプじゃないけど、顔立ちっていうのか、ちょっと怒ってるみたいな態度から、よく誤解されてては問題起こしているけど、さりげなくおっさんが裏で手を廻してたりして事をもみ消していたりしてる。ユーリのお差馴染みで生徒会長のフレンも何かあると、おっさんに相談してる。エステルも言っていたの。エステルは単にお金持ちっていうようなレベルじゃなくて、本当にお姫様みたいな家柄の子だから、少しだけ浮世離れしているっていうのか、そんな感じだから入学当初から随分遠巻きに見られてたみたい。そんな時、あたしみたいに声を掛けて来たのがおっさんだった、って。色々、相談してる内に一番信頼している先生だって言ってたもの。だから、多分、先生として真面目に見られたくなくてワザと悪ぶっているような感じ。それこそ、粋がって校則違反している同級生もいるけど、そんな子達と変わらないじゃないって思う時があるの。子供っぽい半面、何となく周囲からは頼られている。
まあ、そんな事はいいんだけど、ほんと、いきなり何なのよ。ちょっとデリカシーなさすぎじゃないの?っていう気分だったから、眉間に皺が寄ってた。

「い、居たら悪い?」
「あはは……そうなんだ。そりゃ、そうだわね。いるわよね。リタっちだって女の子だもんね……そっかあ……居るんだ」
「べ、別に居るとは言ってないでしょ。おっさんが急に変な事言いだすからよ。だから、あたしは『早く大人になって』っていう意味が知りたいの。今、あたしのことはどうでもいいでしょ!」」

都合が悪くなったから、からかいで逸らすつもりなのかと思ったけど、意味不明な独り言に何時になく真摯なまでの表情に、あたしまでどうしたの、何?って思って、両手に持ってたマグを机の上に置いては、向き合うと、おっさんは表情も変えずに何かとんでもない事言いだした。

「……リタっちがさ、早く大人になってくれたら言いたい事あるの」
「……何よ、それ」
「うん。卒業してからでいいの」
「何なのよ。ハッキリ言わないと意味分かんないし」

自信なさげにぼそぼそと喋るおっさんなんて、初めて。でも、本当に意味が分かんないから、苛立っては、咎めるようなきつい声が出てた。それでも、おっさん、更に回りくどい言い回し。ほんと、ずるい。あたしまで混乱してくるじゃない。いきなり、好きな子いるの?なんて。エステルとだって、そんな話、恥ずかしくてした事ないっていうのに。まあ、エステルの場合はバレバレなのよね。気が付かない方がおかしいぐらいで、さすがに恋愛なんて浮ついたものに興味がないあたしですら分かるもの。でも問題はおっさんだわ。しょぼくれて、力無く笑ってるし。しかも、あたしが見つめ返すと、目を泳がせてるのはさっきから変わらない。こういう態度ってほんとむかつくの一言なんだけど、こんな弱々しいおっさんなんて珍しいから、あたし、どうしていいのか分からないじゃない。
天上を見上げていたおっさんが漸くあたしの視線に居た堪れないっていう感じで喋り始めたけれど、どこか、寂しそうな気配が漂っていたの。

「……大人になれば、卒業したら生徒じゃなくなるでしょ」
「そうだけど」
「そうしたら、俺のこと、先生じゃなくなるから、先生として見ないで欲しいなあってね」
「先生として見ないって、それって、どう言う意味よ。先生じゃなければ、何なの?おっさんはおっさんじゃない」
「あーうん。まあ、確かに『おっさんは、おっさん』だよね」

意味が分からずに、あたしはおっさんのこと睨んでた。からかってるにしては、僅かに泣きそうな顔してる、眉尻が僅かに下がって情けない表情。こんな表情であたしのことからかうなんてないし、ばつが悪そうに、また、襟首を掻きながら「あはは、ごめんね。気にしないで。おっさん、ちょっと最近疲れてるのよ」なんて言うな。
あたし、立ち上がっておっさんを見下ろしていた。なんだか小ばかにされている気分。こんな時、見下ろされているのって癪だから、腰に手をやって見下ろす形。でも、おっさんもあたしに釣られるように立ち上がる。これじゃ意味がないじゃない。あたしとおっさん、年齢は20歳差。身長も20歳差。だからっていうんじゃないんだけど、思わず、後退りしそうになった。こうして近くにいると、おっさんでも、やっぱり男の人なんだって思うもの。あたしをおっさんの影が覆う。

「……あたし、そういう廻りくどい言い方嫌いなの。ハッキリ言いなさいよ」
「ほんと、頭良いのに、こういうことは、まあ、まだまだお子様だものね……」

仕方ないかと言う感じで肩を落としてる。それにしても、ええ、お子様で悪かったわね。ずいと、あたしに近寄って来ては、あたしの頬を包んでる、大きな手で硬い男の人の指。そんなことされるのだって初めてだから、あたし、どうしていいのか分からないまま固まってたと思うの。怖いっていう訳じゃないけど、何、この状態って、パニックになってたぐらい。
おっさんの目にあたしが映り込んでいる。長い前髪に隠されて、眼鏡の奥に潜んでるのは綺麗な目なのね。いつもは何となくだけど薄く膜をはったようにその心根を見せない人なのに、透明度の高い湖底まで見渡す事が出来るような澄んだ目だったの。

「そのね。リタっちの事、生徒として見てないの。え―と、その、今は生徒だけど、女の子として……こんなの教師として言える立場じゃないけど。だから、卒業したら俺の事、一人の男として見てくれたらいいなっていう意味」

どう、これで分かった?とばかりに大げさに溜息なんてついて、あたしの両頬を包んでいた指先が離れてた。おっさんにしては何だか、緊張してたっていうようにがっくり肩を下ろしてる。でも、最初、どういう意味なんだろう?って考え込んでたの。生徒じゃなく女の子って、あたし、女の子だけど……違うわ。そういうモノじゃない。卒業したら、その、おっさんを男の人として見るって……。それって、それって、段々とあたし顔が赤くなるのが分かるぐらい。やがて、赤くなった頬からじわじわとその熱が身体全体を包み込んでる。もう、耳まで真っ赤になってるのが分かるぐらい。

「え、ああ。あのさ、そんな深く取らなくていいから。あ、もう。この話は無し、ね。俺、職員室帰るから、リタっちも早く家に帰りなさい。いいわね?六時過ぎたら、嬢ちゃん達と帰るのよ?」

あたしが硬直して考え込んでたみたいだから、おっさん、異様に慌ててる。ちょっと、待ちなさい。ハッキリ言いなさいよ。だから、逃げようとしたおっさんを捕まえてた。おっさんのシャツの裾、掴んでた。

「うおっ」
「待て。待ちなさいよ」

振り返った顔が、ほんと笑ってしまうぐらいに情けなくって、もう、何なのよ。捨てられた犬みたいにしょぼくれてる。そんな目をしないでよ。

「あたしを女の子として見てるのって、それって、あたしの事をおっさんは……だから、好きな人がいないの?ってさっき聞いたの?」
「……実まで言わすの?」
「あ、当たり前でしょ。男でしょ?ハッキリ言いなさいよ」

あのね。いくら、その手の事興味がないあたしだって、意味が分かったわよ。そして、おっさんがあたしを見つめてた時の視線の意味。あたしが、この場所をお気に入りにしている意味。全てがクリアになってゆく。仄かに感じていた想い。あたしが抱いていた想い。温かくて、少しだけ切ないぐらいに大切に思う気持ち。何だ、あたし達って、そうだったのね。でも、あたしだって女の子の端くれだもの。きちんと、言葉で聞きたいの。

「どうしても、言わなきゃ駄目?卒業式まで、その……」
「──言いかけたなら、ハッキリ言いなさいよ。あたしが曖昧な事嫌いなの知ってるでしょ。このヘタレ」
「ヘタレって……」
「ヘタレにヘタレって言って何が悪いのよ。さっきから男らしくないわね。うじうじされるの、あたし、大嫌いなのよ」

あ、おっさん、急に何かすごく傷つきましたけどっていう感じで表情を曇らせてる。ヘタレは余計だったかしら。まあ、いいわ。それに、あたしだって恥ずかしくなるじゃない。むすっとした顔でおっさんのシャツの裾握りしめてる状態自体、滑稽といえば、滑稽なんだもの。

「早く言え。このへ……」
「──そのリタっちのこと、つまりはまぁ、好きだっていうことで」

やっと聞けた言葉。「好き」っていう気持ち。真面目な顔して、神妙な口振りで。でも、気恥しさに少し緩んだ顔みせてる。子供みたい。でもね、もっときっぱり言いなさいよ。まだ何か奥歯に挟まってるような言い方。気にくわない。でも、おっさんもさすがにおっさんっていうのもおかしいけれど、開き直った感じ。半分、投げやりっていうのかしら、やけっぱちにも見てとれるのよね。いい加減、気がつきなさいよ。この鈍感。

「女の子として?」
「そうです。生徒じゃなく、女の子として好きなんです。お分かり頂けまして?」
「お分かりって何よ。じゃあ、あたしも言ってあげるわよ。あたし、好きな人いるの」

途端におっさん、失恋決定したな、みたく悲愴な顔してる。つい、おかしくて噴き出しそうになるじゃない。でも、ダメよね。笑ったりしたら、それこそ、本当にいじけて明日から学校こなくなるんじゃないかしら。さすがに、それは無いわよね……と思いたい。

「はあ……俺様、明日からリタっちの顔見れないわ……」

なんて言いだすの。心配にもなるわよ。だから、とびっきりの笑顔で言ってあげる。おっさんが居て、皆が居て、あたしは変わった。親友なんていらないって思ってたあたしが、学校なんてつまんない場所、だから、早く大人になって自由になりたいって思ってたあたしが、別の意味で早く大人になりたいって今思ってるの。

「良く聞きなさい、このヘタレ」
「だから、ヘタレは余計だって」
「うるさい。黙れ」
「はい……」

おっさんのシャツの襟を掴んで、ぐっと顔を近づけてた。前屈みになったおっさんの顔があたしの目の前にある。

「あたしの好きな人は、レイヴンよ」

でも、何だか、聞いてるのか聞いてないのか。ううん、思考が停止してるっていう感じなのよね。

「へえ、レイヴン……ねえ。そんな生徒、うちの学校に居た……?」
「馬鹿じゃない。先生よ」
「生徒じゃなく先生……レイ、ヴン先生……ふうん。そんな先……え、あ?俺?えええ?ほ、ほんとに?」
「あんた、自分の名前忘れたの?何、驚いてるのよ」
「い、いや。そうじゃなくって、俺のこと」

何だか、おっさんが慌てふためいてるもんだから、あたし、自分でも驚いちゃうぐらい冷静。もっと照れるもんだと思うのだけど、こうも情けないおっさん見てると、あれなのね。思わず、あたしがしっかりしなきゃって思うものなのね。
もう一度、握りしめてたシャツを思いっきり引っ張っては、あたし、おっさんの耳元で囁いていた。

「そうよ。好きよ。レイヴン先生」
「リタっち、せ、先生としてなの?」

何、キョドってんのよ。まだ言うか。信じられないの、あたしのこと。この、バカおっさん。
やってられない、とばかりに大げさに溜息をつくポーズ。それだって、おっさんがあたしをからかった時に見せる仕草だけど、今日だけはあたしが真似してあげるわよ。

「だから、先生じゃなくて、男の人としてよ。お分かり頂けまして?レイヴン」
「……はい。お分かりです……分かりました」

おっさん、僅かだけど赤くなってる。あのね、三十五歳の男でしょ。普通、これって立場が逆じゃないの?エステルが好きなラブストーリーの本なんて大抵は男の人に告白された女の子が真っ赤になっては嬉しくて泣いてるとか、そんなのばっかりなのに。ただ、そういうあたしも赤くなるとか何かしそうなんだけど、こうもね、状況が逆転されちゃうと、ほんと嬉しいんだけど。そんなあたしを見ておっさん、溜息なんて吐いてる。

「……リタっちってば男前過ぎるわよ。そこはもう少し恥ずかしがってくれないと」
「あんたがヘタレなだけでしょ。冷静にもなるわ」
「だから、そのヘタレは辞めてよ。おっさんこう見えてもナイーブなのよ?ガラスのハート持ってるんだから」
「まあ、それはね。今のあんた見てたら良く分かるわ……」

あたしまで、はあ、と溜息が漏れちゃう。ほんとに、こんな人でいいのかしら?って、でも良いに決まってるのよね。あたしのこと、こんなに甘やかせてくれて、自由になれる場所なんて他にないの。素直じゃないあたしが初めて素直になれて、他人なんてどうでもいいって思うあたしが、初めて、どうでもよくなくて、必死になってるの。こんな気持ちまで分かってくれる?それぐらい大切なのよ。でも、おっさんがこんなに臆病な人だなんて初めて知った。ずるい言い方だって、その裏打ちよね。保健のジュディスなんかには、あんなに手馴れた口調で口説いている時なんてあるくせに。だから、もっと強い言葉で伝えなきゃいけない。そうじゃないとこの人は本当に自分を隠して逃げてしまうもの。

「あたしは、あんたの事、好きなの。だから、早く大人になってあげたいけど、まだ15歳なの。これだけは現実的には無理な話よね?」
「えーと、まあ、そうですよね」
「でも、好きに大人も子供も関係ないわ」
「その前に一応、教師と生徒ですからね」
「そんなの何よ。何なら、言わせないようにしたらいいじゃない」
「……したらいいじゃないって」
「あたし、もうじき16よ?法律ならもう結婚出来るわよ。それに、あたし保護者なんて代理人しか居ないから、どうにでもなるんだもの」
「……ちょ、ちょっと待って、あのさ、いきなり結婚って話、飛躍し過ぎだって」
「何よ。遊びで好きだとか言ってるの?大人になって、適当な遊びで済ますつもりだったの?あたしは気の迷い何かでこんな事言わない」
「そんな事は無い」

あ、男らしくなった。ちょっと怒ったみたいに眉を潜めてるけど、きっぱりと言い退けてた。それぐらい最初から意気込みなさいよ。こういうおっさん、凛々しいなって思うのも、やっぱり好きだからなのかしら。真面目に見れば、その顔立ちだってそれなりに整ってるのよね。でもね、おっさん、あたしね、何よりも人を好きになるっていう感情がこんなにも安心するものなんだって初めて知ったの。頼ることなんて知らなかったから、この事実だけでも、安堵出来るものだって。絶対に離さないんだから。

「たださあ、今は勉強が優先でしょ。リタっちだって普通の高校生生活送って欲しいの。まだまだ嬢ちゃん達と遊んだり、色んな事経験して欲しいのよ。普通の女の子としてね」
「まあ、そうよね。高校生だから」

そういったおっさんは少し困り顔だけど、それすら可愛くみえてしまうなんて、あたしも相当重傷。でも、おっさんの話にも一理あるから、その辺は譲歩しなきゃあね。さすがに結婚なんて言う話はぶっ飛び過ぎたけれど、あたしはそれぐらいの覚悟があるの。おっさんだっていい歳なんだから、あたしを逃したら次なんて無いわよ。そして、恐々とまた気弱なおっさんの影がちらちらしてる。

「じゃあ、さ。これから、この時間だけは先生と生徒じゃなくてもいい?」
「……そうね。学校以外でもいいわよ。おっさんの家とかでもいいわよ」
「だから、その言い方、問題あり過ぎだって、生徒を自宅に連れ込んでるなんて」
「何よ。彼女が彼氏の家ぐらい行ったっていいじゃない。あんたがヘタレ過ぎるからでしょ」
「もう何度目よ、それ」

嬉しくって目を細めて笑ってるのは、あたし。優越感なんていうものじゃないけれど、おっさんと色んな壁を飛び越して対等になってるっていう想いが横たわってる。でも、おっさんもプライドは残ってたみたい。「そこまで言われちゃ、おっさんだてって男なんだからね」とか何とか云いだしてる。すっとあたしが掴んでた手を握りしめたと思うと、抱き寄せられてた。

「好きだ。リタのこと、ずっと前から好きで仕方なかったんだ」

急にそんな男らしい声ずるい。囁くように低い声。急に抱き締める力だって強く込めるもんだから、あたし、急に恥ずかしくなってきたじゃない。
いいわよ。あたしだってたまには女の子らしいとこ見せてあげるわよ。素直になってあげるわよ。誰にも見せたことのない本当のあたしだと思うけど、本当はそうね。欲しがってのかもしれない。羨んだことはないけれど、皆と知り合ってから、そういう気持ちがどこかで芽生えていた。大切にされて、大切にしたい。誰かの傍で居たいっていうような気持ちが、ね。

「だから、あたしのこと見てくれてたの」
「うん。最初はね、面倒で厄介な生徒っだって、口は達者で捻くれてるし態度だって横柄。でもさ、努力家で寂しがり屋の可愛い笑顔見せられたらね」
「何よ、その言い草、でも……ありがと」
「どういたしまして」

ふふと浮かんでくる笑顔は自然に溢れてくる想いなのね。甘くって、ふわふわしてる。おっさんの背中に腕を廻してぎゅうと力を込めてた。胸に擦り寄っては、その鼓動を確認していたの。嬉しくって、楽しいって思うほどに。そして「リタ」ってあたしの名前を呼ぶ声。

「……おっさん?」

あたしを抱きしめてる力が緩んだと思えば、すっと右手があたしの頬に触れている。おでこに軽く触れる唇。顔が熱くて、でも、触れた唇は少しだけ冷たい体温。本当に風がそよいでるような瞬間。全部の音や色が消え去っていた。静かにその時を取り戻すまで、あたし、息をする事も忘れていたぐらい。はにかんだおっさんが少しだけ歪んで、揺れて見える。泣いては無いけど、視界が霞んでる。

「まだ、こっちは後に取っておくから。もう少し大人になってからね」

ニヤッと笑って、あたしの唇に人差し指が触れてた。気障な言葉に「馬鹿っぽい」って呟いたけど、それだって今までと違う意味を持ってた。少し気恥ずかしさを誤魔化すような感じ。こんな気持ちは今までなかった。ほんのりと柔らかな風があたしを包んでた。おっさんによって包まれた風は、秋の空みたいにどこまでも澄んでいてあたしが一番大切な場所になっていた。

「えーと、お泊まりなんて言うのは出来ないけど、その、今度の日曜日にでも家に来る?その、彼女としてね」

恥かしげに言うな。あたし、真っ赤になってたじゃない。





inserted by FC2 system