優しい、毒

優しい、毒1 優しい、毒3 TEXT


ジュディス




それに気が付いたのは、何時の頃だったかしら。

彼女の跳ねた毛先が、何時の間にか弧を描くかのようにふわりと揺れる長さになっていた。
鳶色の、翠の瞳をした仔猫が一匹。季節外れの季語。浮ついた春の猫ならぬ、寂しげな冬の猫と言った感じかしら。
校舎の窓枠に、頬杖をつきながら晩秋の色に染まる校庭を眺める素振りで、その一角に佇んでいる白衣姿の男性を見つめ、そして、微かに肩を落とす。
分かりやすい、それに私は笑みを零す。
誰がどうみたって隠しきれない想いを彼女は、小柄な女生徒は抱いている。その視線の先にいる男性教諭に。そして、お互いの気持ちを隠しながら、恐る恐ると距離を測りかねている。
不器用で、いじらしくもあり、淡い彩を描くのは、初めての恋、そのものだろう。
そして、そんな彼女は私が探し求めていた存在だった。

それは、もう三年近く前のこと。私は都心のビルが建ち並ぶ街の一角にいた。

「……それで、ご依頼の報告書なのですが」

初老の紳士とでもいえる男性は柔和な笑みを浮かべていた。知人の伝手を頼りに、興信所なんていうところに依頼していたのはある少女の行方だった。
私は、その応接室に招かれ、その報告書を読んでいた。
レポートに貼られた写真は、その探し求めていた相手。気が強そうな眼差しは、どこか昔の記憶に居る人と重ね合う。

「やはり、ですね」
「はい。彼女が、お探しの方のようです」
「ありがとうございます」
「いいえ。こちらは仕事ですから」

書類を受け取り、私は部屋を後にしていた。
それは、意図も簡単に見つかっていた。まだ私自身も幼く、探し求めていた彼女に至っては、その記憶すらないだろうという時間を遡るのは容易ではなかったけれど、プロの手に掛かれば、そんな履歴などあっという間だったらしい。

車に乗り込んでは、ほっとしていた。漸く探し求めていた少女が身近に居たことに感謝し、僅かながらにこみ上げてくる嬉しさを感じていた。それは、私と彼女を結ぶ血という繋がりを探していたからだった。

まだ二十年足らずの昔、実母の死後、父はある女性と再婚し、その女性との間に一人の女の子が生まれた。
高名な学者だった両親、そして、継母にあたる女性もまた同じ研究をしていた同僚。
幼い私は、二人の元で育てられていたけれど、急な病から父が亡くなった後、私は父方の祖父母の元に引き取られ、継母と妹は、そのままどこかに消えていた。
私自身も幼かった為に、祖父母は早くに両親を失った私を慈しんで育ててくれたけれど、もう一人の孫である妹の存在は、まるでなかったかのようになっていた。
それが、どんな意味を持っていたのかも、当時の私には知る由もなければ、何時の間にか、妹の存在すらも忘れかけていた。やがて、私を育ててくれた祖父母も相次いで亡くなり、いよいよ、血縁なんていうものと遠くなったと感じた時に、ふと妹の存在を思い出していた。

どんな理由があるにせよ、その存在を確かめたかった。生きているだけでも良かった。ただ、幸せに過ごしているのなら、そっと見守っているつもりだった。
それは、本当に偶然。
私が勤務する生徒として季節外れに迷い込んできた仔猫だった。ただ、報告書にあるように、彼女の人生は僅か十五歳の少女が歩んできた道のりは、私が想像していたよりも平坦ではなかった。

私は、運転席でその報告書をもう一度、読みなおしていた。

そこに記されていた、私が知らなかった時間が記されていた。父の死後、継母は彼女を連れ別の研究所に勤務していた。父と同様の研究を続けていたらしいが、やはり、父の後を追うかのように亡くなっていた。その後、彼女の行方が掴めないでいたのは、あまり近しい血筋ともいえない親類に引き取られていたせいだった。
そこでどんな扱いを受けていたのかは、そん彼女の普段の言動からもすぐさま理解出来た。

十五になり、高校生になった途端、彼女の母親が残していたマンションで一人暮らしを始めていた。

それを遠巻きに見つめていた1年が過ぎ去った頃だろうか。彼女が、沈んだ表情を浮かべる時があることに気が付いた。そして、決まって、その視線の先にいる男性を見つめている、彼女は、私から見れば、随分と不器用な恋をしていると、思っていた。

きっと、明るい栗色の髪が揺れるたびに、彼女は、その想いを抱えているのだろう。
そんな時、私はさりげなく、彼女に近寄っていたけれど、敵意なんていう目をした彼女から浴びせられていた。



「あれから、おじさまとはどうなの?」

冬休みに入り、後数日で新しい年を迎えるかという日だった。何気なしに彼女が過ごしている部活動の教室まで出向いていた。そう、その一月前、私は、彼女と、おじさまと言った彼女の揺らぎを与える男性に、私なりの脅かしなんていうものをし掛けていたから。
有体に言えば、何故か私とおじさま──レイヴンとは噂になっている。
皮肉な物だけど、それだってこの彼女──リタ・モルディオにとっては気掛かりな上に深い悲しみを与えていただろう。それでなくとも、レイヴンは、どこかリタに執着しながらも、まだ、彼自身が迷っていた。簡単に越えられる壁なのに、彼自身、そんな社会的な立場だとか、規範なんてものを良しとしない性格の癖に、どこか臆病さを漂わせている。
そして、そんな狡さが、リタを苦しめていた。
ただ、私から見れば、一途な恋は、お互いに手探りのように確実に地固めをしているかのようにも思えた。
恋愛には手慣れた、人の機微を掴むのが上手い男。恋愛には不慣れな、自分の感情には不器用な少女。相反する、二人だけにお互いが必死になっている。

「……べ、別に何にも無いわよ」
「そうなの?」
「そうよ!」

そういう割には、随分と動揺しているじゃない。そんな仕草一つが可愛らしくて、私はつい、笑みを零してしまうのだけど、それはリタにとってプライドが許さないのよね。真っ赤になって私に何か言いたげにしているけれど、言葉が出ないらしい。仔猫は仔猫なりに反撃しようと、必死になって毛を逆立てている。

「私ね、おじさまに言ったの」
「……な、何を、よ」
「思いっきり甘やかして、特別扱いしてしなさいって」
「……な、なッ」
「な、しか言ってないけど?あなたが、そう願うのであればね。特別な存在なら、大切にしなさいって」

軽くウィンクを添えて、私らしくもないけれどおどけて言えば、ほんのりと春に咲く花のように頬を染めている。
か弱くも、自分自身に言い聞かせるかのような声音。

「……特別な、存在」
「そうなりたいのであれば、ね」

そうね。私から言えるのは、あんな……いいえ……。でも、あんな、しか浮かんでこないけれど、それでもあなたのこと、大切にしてくれる人だわ。決して、褒められるとも言い難いけれど、それでも、あなたを守ってくれる人だと、私も認めている部分はあるのよ。
時折、聞こえていた彼の過去。決して、彼自身も順風満帆とは言い難い人生だったらしい。そんな過去の片鱗を彼自身、自ら語ることはなく、ただ、曖昧に笑っては風のように消していた。その目の奥に潜ませた哀しみなんてものを抱えながら。だから、こそ。臆病になる彼はそれだけ彼女は、大切な存在になっていると直感していた。
まだ迷いを消さないでいるかのようにも、おもえたリタの表情だったけれど、一月前に見た寂しげな色は薄らいでいるかのようにも見えた。
そんな、私達の間に割って入ってきたのは、彼自身。

「あ……ジュディスちゃん居たの」

教室の扉が開いたと思えば、彼が、立っていた。咄嗟に私を見ては、何か、動揺しているようにも思えたのだけど。そう警戒しなくてもいいのよ。先月の一件があってから、私がリタに近付いている時、何かしら牽制してくるかのような表情を浮かべるけれど、虐めては無いわよ。

「そうよ。お邪魔だったかしら?」

だから、そんな風に言ってあげる。

「いやいやージュディスちゃんなら何時でも大歓迎……」

軽口を叩くけれど、リタの視線に気が付いていたみたい。リタと言えば、真っ赤になっていた筈なのに、やや、不安げな曇り空の気配を漂わせた表情。だから、言ってあげたでしょう?リタの前で他の女の名前なんて呼ばないの。出さないの。それぐらい、分かっている筈だけに、急に言葉尻が消えかかっている。そんな、歪な二人の間に漂う物に私は、静かに笑みを浮かべるだけ。

「あ、そうだ。リタっち、嬢ちゃんが探してたわよ?見かけたら生徒会室に来て欲しいって」
「エステル来てるの?」
「うん。青年たちも一緒だから」
「それを早く言いなさいよ」
「だから、言おうと思えばジュディスちゃんが……」
「あら、私何もしてないけれど?」

引っ掻き回すつもりはないのよ。ただ、ね。そんなあなた達みてると、少しだけからかいたくなるの。意地悪かしら?

「あ、あたし。生徒会室行って来るから」
「ああ、うん……」

スカートを翻しながら、足早に駆けてゆく小さな背中。長くなった髪が揺れている。
そんな後姿を見送りながら、取り残されるのは、私とおじさまの二人。さあ、どうやって料理してあげようかしら。
そんな私の思惑を感じていたのか、レイヴンは戦々恐々とばかりに、私を見つめているけれど、どこか、まだ余裕なんてものを抱えている。そうね。あなたにとってみれば、こんな会話も丁度いい言葉の駆け引きだものね。だからっていうのじゃないけれど、私の嗜虐心なんて物を煽って来るのに。

「……本当に何も言ってないの?」
「思いっきり甘やかして、特別扱いしているか確認しに来てたの」
「……」
「黙秘権を行使する辺り、正解みたいね」
「あ、いや。そのね。まだ、生徒だから、リタっちは特別って言う訳には……」
「まだ、ね」
「……揚げ足取り」
「それはあなたの専売特許じゃなくて?」

まいったな、と言わんばかりに襟足を掻いている。でも、それだって嬉しそうに見えるのは、どうしてかしらね。あなたが、そんな柔和な眼をするなんて初めて知ったわ。本当に、大切な宝物を見つけたような、柔らかな笑顔を浮かべている。

「まあ、ね。案外、堪えたのよ。リタっち、不器用な子だから、傷つけないようにしてるつもりが、傷つけたなんて言われると、さ」
「あなたなら、任せられると思っているの」
「へ?な、何?」

慌てふためくレイヴンを置き去りにしては、私は自分の場所に戻っていた。反対側にある校舎の窓、リタとその親友達が歳相応な笑顔を浮かべていた。そして、困り切った顔をした教師が一人、ぼんやりと窓辺に佇んでいる。

「……おじさまがそんな困った顔するなんてね。でも、まだまだ試練はあるわよ」

そう、この時ばかりは私ですら予見していなかった。この校庭の木々が淡い薄紅に染まる頃、それは意外な程に、急展開を見せた。まだ早いと思っていたけれど、もう、誤魔化しては溜息をつくリタを見ていられなくなっていたせいもあったかしら。その突破口を開けたのは、ほかならぬ私自身。小さな、賭けだったけれど、思わぬ方向……今、思えばそうでもなかったけれど。
人の恋路は、なんてやらと浮かぶけれど、私にとってリタの存在は守るべきもの、でも、それは遠くから密やかに。もし、手を繋いでくれる人がいるなら、それに越したことはないわ。
ただ、それに見合う人物か試すのは、仕方ないもの。
だって、可愛い妹ですもの。たった一人の、私の妹だから。




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