優しい、毒

優しい、毒2 優しい、毒3 TEXT


リタ


「馬鹿っぽい……何よ、鍵掛けるな。入れないじゃない」

放課後、部室に来てみれば先生が居ない。探すのも億劫になって、ぼんやりと廊下の窓辺から校庭を眺めてた。

秋から冬へと季節が移ろい始める。校庭は銀杏の葉によって黄色に塗り替えられてどこか寂しげにも見える。鮮やかな黄金色に射す茜色の夕陽。どこか、その色は黒を孕んでいて、あたしは、何故かその色が嫌いだった。夕日が嫌いなんて言えば、笑われるだろうけど、この瞬間が綺麗すぎて怖かった。やがて、一月もしない間に、この色が消えて白一色になる。寂しさや人恋しさ、何もかも覆い尽くす季節は、もうそこまでやって来ている。あたしらしくないと分かっているけれど、溜息。

こうやって空白の時間がひょっこり落とし穴みたいに生まれると、ついつい最近は、考えてしまうことがある。あたしらしくもないけれど、どうやら思春期なんてらしきものが遅まきながらにやってきた。

「思春期っていうもんじゃないわ。ううん、やっぱり、思春期なのかしら?」

思わず独り事。最近、ううん、もう随分前から気になってる人がいる。不審者っていうと言い過ぎかもしれないけど、それでも似たような物よね。何を考えてるのか分かんない人、しかも、暇と隙があれば、あたしのことからかってくる。時間潰し、暇潰しの玩具じゃないっていうの。そのくせに、あたしのことを気に掛けて来る素振り。放課後、こんな時間に帰ろうとすれば、何かと口喧しく、送っていくだの、何かあったら心配だの、何だか期待するようなことっていうのか、女の子扱いされてるようで気掛かり。でも、あの不審者にとってみれば女性限定の博愛主義らしく、そのポリシーに基づいての言動だろうし、あ、でも、それってあたしも女の子って言うことなのかしら?でも、あたしの胸のことを「ぺたんこ」なんて言ってのける、デリカシーの無さは、何なの?

「ぺたんこで悪かったわね。どうせ……ぺたんこよ」

あたしも、思わず胸元をみるなっていうの。自分で言って情けない。そのちょっとは成長しているわよ。そりゃ親友だとかクラスメイトに比べたら、控え目だけど。
やっぱり、そういう風なのが良いのかしらね。背が高くて、胸も大きくて、ウエストなんかも細くて、足首なんかきゅっと締まってる……。随分前だけど、それこそあたしが1年の頃、よ。親友の彼氏も、何故かその手の話題で不審者と盛り上がっていた。あたしが部室をちょっと抜けだしてた時、二人が話し込んでるの、たまたま耳にしてたのよ。夏だったから思いっきりドアを開けて話してた。聞こえるわよ。あの馬鹿二匹。あたしがドアの向こう側で仁王立ちで不機嫌さを露わにしたら、親友の彼氏は早々に逃げ出す始末。不審者は、いかにもマズイっていう顔してご機嫌とりしてくるもの。
しかも、その馬鹿二匹が噂してた人。背が高くて胸が大きな、誰かを思い出しそうだったから、考えるの辞めるわ。

「ほんと男って馬鹿、最低よ」

スケベでいやらしくって、お調子者。そんなちゃらんぽらんな人なのに、何時の間にか目で追いかけては、その姿を探している、あたしがいた。
休み時間、猫背気味で廊下を歩いているやる気のない後ろ姿だったり、部室の部屋で窓辺にたって日向ぼっこしてるように立っている姿。ほんの一瞬なのに、部活前に探すのがもう習慣。その日、一日何回、見つけたなんて一喜一憂してる。
いくら、この手に疎いあたしでも気が付いてたもの。
これが何であるかっていう感情。

「ちょっと寒いわよね。ったく、ほんとあの馬鹿おっさん。どこふらついてるのよ」

冬の日の入りなんてあっという間。ぼんやりとしている内に廊下に伸びた、あたしの影や校庭に伸びる影すらも長く、深い色に染まってゆく。

転校してから、早一年が過ぎ去り、今は、もう二年生も終わりに近づいてきていた。この季節が終わり春になると、あたしは三年生になる。更に一学年上の親友が卒業してしまうと、本当に、また一人ぼっちの学生生活。そうでなくても三学期からは、三年生は自由登校だから、親友とは、会う時間も限られて来る。来年からは、つまんない生活になるんだろうな、って予感がこの所、あたしを更に落ち込ませてしまう要因にもなってる。

大切な友人は去ってしまう上に馬鹿な不審者とは、相変わらずな関係だし、もう、八方塞がりもいい所。


「レイヴン先生、さよならー」
「可愛い子は、暗くなる前に帰るのよ〜さいならー」

そんな想いを抱えながら、眼下に広がる校庭の中庭に、その、あいつ──馬鹿でちゃらんぽらんな不審者が居た。何故か、隠れたくなる瞬間。別に、あたしに気が付いている訳でもないのに。そっと、影を作るかのように窓辺から僅かに離れていた。それでも、まだ、目だけはその姿を追っている。
そう、あいつは、一応、あたしが通う学園の先生だけど、ちゃらちゃらしていて軽薄な感じで一応はあたしが所属する科学クラブの顧問なんてものもやっている。レイヴン先生。あたしは、おっさんなんて呼んでるけど。

「ほらーそこのお二人さんも、早く帰りなさい。もう、日が暮れちゃうわよ」

白衣のポケットに片手を突っ込みながら、下校している生徒に手を振っている。ニコニコしているであろとは思う。ここからじゃよく見えないんだけど、その口調と声から分かってた。低いけれど、甘いっていうのか、良く通る声だから、余計にあたしの耳から離れないでいる。

何よ、愛想振りまいちゃって。

そうなのよね。おっさんはあたしだけ、特別に優しいだけじゃない。愛想が良い訳じゃない。だって、先生だもの。生徒には公平でなければならない。 一見、お調子者っぽく振る舞ってはいるけれど、そういう警戒させない面が良いのか、生徒の受けは良いみたい。だから、親友ですら懐いているっていうと犬みたいだけど、そういう何か人の隙間に入り込むような話術だとか、処世術なんていうものを持ってる人。
あたしから言えば、ヘラヘラしてるだけの、馬鹿っぽいの一言だけど。


「あら、どうしたの?」

背後から声がした。ヒッって小さく声が出るぐらい。あたし、相当、自分の世界に嵌り込んでいて、ぼんやりしてたみたい。慌てて振り返れば、保健の先生が立っていた。

「べ、別に何でもないわよ」
「あら、そうかしら?何か、考えごと?」

あたしの隣に来ては、同じように校庭を覗き込んでいる。あいつは、まだ、中庭でうろうろしている。多分、部活に入っていない生徒達を見つけては帰宅を促してるんだと思う。

横目でちらりと見た、保健の先生。あたし、この先生苦手なのよね。背は高くて細いくせにグラマー。でも、そういう厭らしさとか下品さは、なくて、適度にその肢体を隠さず、見せているっていうのか、TPOも的を得ている服装だから、どこか品もある。それに比べて、あたしと言えば…… 対象的過ぎる体型に泣きたくなりそう。それもその筈よ、馬鹿二匹が噂していた人がこの先生。学園一の美人。親友も可愛いけれど、またタイプが違う。この先生は、あたしが知っている限りと言っても狭い世間だけど、その中で一番に綺麗だと思う。
ただ、そんなコンプレックスを刺激させる体型よりも、一番に感じていたのは、何か見透かされるような感覚。蛇って言うとおかしいけれど見竦まされる。足元が震えるような怖いっていう感覚にも似ている。口にしていない、胸の内をさらりと言ってのける勘の良さがあるんだろうけど、そんな瞳の色をしているせいなのかしら。密やかに見つめられたら動く事が出来ないような迫力がある。
だから、余計な詮索はするな、と牽制したのに。

「……そ、そうよ。考えごと、よ。考え……」
「──レイヴン先生のこと?」

彼女が、くすって笑った瞬間、むっとした。短気なのは分かっているけれど、言い当てられていたから。そして、何よ、そのあたしの顔に全部書いてるわよ、なんていう微笑。

「あなたって分かりやすいから」

ごめんなさい。笑うつもりはないのよ、って言うけど、十分、笑ってるじゃない。失礼よ。そうよ。考えては、考え込んでは気持ちと思考が迷子になっているわよ。

「そんな、あなた可愛いわよ」

あたしは無言になるしかない。この先生から見た可愛いなんて言葉、本当に幼い子供に対していう可愛さだと思ったから。そうよ。どこの世界に二十歳も上の教師。しかも、あんなおっさんに恋心なんてもの浮かべては、溜息ついているんだもの。あんたみたいな美人からみれば、子供でしょうね。そんな姿が可愛いなんて思えるんでしょうね。そう勝手に自己解釈すれば、ますます不愉快だった。

それに何よりも、おっさんとこの美人の先生。噂あるのよね。その、付き合ってるとかっていう、それだってあたしからしてみれば、どこか息苦しくて、キリキリと胸が痛む噂。

おっさんが、先生の名前を口にするだけで、イライラしてた。そして、唇を噛みしめていた。
笑顔が作れなくなって、わざと癇癪を起したみたいに怒っては誤魔化してた。本当は、泣きたいぐらい悔しくて、寂しくて、切ないのに。それすら、誤魔化している、あたしが滑稽だった。
こんな相手が居るなら、余計みじめになるだけって分かっているのに、諦めきれない、あたしが可哀想になってくる。
そして、姿形だけじゃなく、年齢、同僚っていう立場。あたしには何一つ持っていない物をこの保健の先生は持っている。
そんな羨ましさでグチャグチャな感情。
遅れてきた思春期なんてもの、こんなに醜い物だなんて知らなかった。

「私達の噂なら、嘘よ」

赤い唇が、そう告げていた。冷たい廊下に視線を落したかと思えば、優しげな瞳であたしを見つめている。
ざあ、と風が吹いて校庭の木々が揺れる音がしていた。黄色い葉っぱが風に舞い上がっては校庭に落ちて行く。
あたしは、どう言っていいのか、分からないまま条件反射のように思わず口にしていた。でも、疑い深い、あたしはまだ半信半疑。

「……そう、なの?」
「そうよ。だから、安心して」

恐々とあたしらしくない声だった。どこか、震えているのは色んな要素からの不安だったのかもしれない。

好きだって気がつかされてから、どこか自信のないあたしが居る。
こんな美人が彼女だったら、ね。なんて言い訳を見つけて諦めようとしている。
おっさんとの関係は、生徒と教師なんていう余りにも隔てられ、そこに横たわるものが飛び越えられないでいた。
でも、それを払拭させるかのように、また保健の先生は、曖昧な笑みを零していた。

「べ、別に……あたしは……」

感情が邪魔をして、上手く表情が作れないでいた。強張ったまま、口ごもってしまう。

「……おじさまとは本当にただの同僚って関係よ」

あたしを見つめる瞳の色は、柔らかく済んでいる。ただ、春の空みたいに、なにか覆われた霞みかかった色。そして赤い唇に浮かべられたのは、何もかも見透かしているような大人だけが持つような余裕っていう物を抱えた色。特別、あたしが分かりやすい訳じゃない。多分、彼女の前なら皆、そんな風に心の底まで見られてしまいそうなアイスブルーをした瞳の色がそう感じさせていたのかもしれない。
ただ、先生もそんなあたしに少し困っていたのかもしれない。溜息を零すようだった。

「一つ、ヒントあげるわ」
「……ヒント?」
「そう、レイヴン先生、ああ、見えて格別、あなたのこと気に掛けてるわよ?」
「……格別?」

単語をチョイスするかのような、鸚鵡返し。
だって、気に掛けるのは、あたしが唯一の部員だし、生徒だから。
さっきだって、そうじゃない。夕暮れが早いから、ふらふらしてる生徒を追い返しているのだって、何かあったらっていうような職業意識。
そうじゃないの?それだけじゃないの?
それ以外に何があるっていうの。

「そうよ。あたな、分からない?自分が他の生徒よりも彼との距離が近いって」
「だって、それは……」
「そうね。顧問だっていう関係もあるけれど」

よく分からない。近いと言いながら、遠いと言っているかのような、曖昧で混沌とした答え。
何を知っているんだろう。何を、あのおっさんのことを見て言っているのだろう。
混乱した、あたしを先生は哀しげな目をして見つめていた。

「……彼も、罪作りね。自分であなたを悲しませることをしてるんだから」

もっと分からなくなる。

「どういう意味よ……」
「──あれ?ジュディスちゃんとリタっち、何、ひそひそ話してんの?」

あたしの問い掛けを遮るように、おっさんがあたしの背後に立っていた。襟足を掻きながら、さも自由を満喫したかのように、へらり、とした笑みを浮かべている。
その呑気な顔が無性に腹立たしくなってた。
だから、思わず、あたし自身が吃驚するような鋭い声で噛みついていた。
それこそ、保健の先生の存在なんて無視したかのような勢い。おっさんは、大げさにあたしを押しとどめようとしている。そんなお調子者のような態度が、たまらなく苛立たせた。

「何でないわよ。あんたが、部活時間になっても来ないから困ってたんじゃない!」
「ご、ごめん。そっ、そんな剣幕で怒らないでよ。俺が居ない時は、鍵掛けなきゃいけないのよ。リタっちだって知って……」
「もう、いい!あたし、今日は……」

帰るからって言いかけた時、それまでなり行きをみていた保健の先生の声によって、あたしは動きを止められた。
腕組をして、おっさんを挑発するかのような微笑みみたいな物を浮かべている。

「おじさま、見え透いた優しさは苦しめるだけよ」
「へ?な、何?いきなり……」

保健の先生は、またお得意の何を考えているのか分からない笑みをおっさんに向けては、立ち去っていた。
取り残されるのは、あたしとおっさん。

「な、何?何?俺のこと、話してたの?」

おっさんは本当に分かっていなさそうだった。あたしもイマイチ意味が掴みきれないでいる。
見え透いた優しさ。
そうね、そんな感じ。おっさんから与えられる、優しさ。
それは、気紛れにあたしをからかっては、優しい眼をして笑みを浮かべている。
気にしてないようで気に掛けて来る。それのどれもが、あたしを苦しめている。
誰にも見せないような優しさなのに、誰にでも見せているから。

「やさしい、毒」

何故か、そんな言葉が浮かんでは口にしていた。おっさんは、本当にきょとんとしていたけれど、そうね。その毒を持っている人。
あたしの一番近くに居ながら、一番遠い人。
怪訝そうにしていたおっさんだけど、さすがに立ち直りは早かった。もう、困惑から脱却している。今のことなんて、忘れましたみたいに悠長に襟足を掻いていた。

「あーもう、今日俺も帰るからさ、何時もの店でも行かない?腹減ったしさ……リタっち?」
「……え?」

あたしは、深く考え込んでいたから、おっさんの言った事が聞こえてなかった。ああ、そうね。もうそんな時間だったのね。いいわよ、付き合ってあげる。
本当は、嬉しいくせに、嬉しそうに出来ない、出来なくなってきている。
ねえ、こんな優しい毒で、あたし、おっさんの事以外考えられなくなってるのよ。
何にも執着心なんて持ってなかったあたしが、あんたに恋なんてものしているって告げれば、どんな風に思うのかって。それを考えるだけで怖くなっているのよ。
何も知らない、おっさんが少しだけ恨めしくなって来る。
沈んでいたかと勘違いしたみたいに、おっさんは、とびきり優しい笑顔を見せつけてくる。

「いや、もう下校時間になってるしさ。腹減ったでしょ?待ちぼうけさせた、お詫びに夕飯、おごって上げるから付き合ってよ」
「……う、うん」
「どったの?なんか調子悪い?」

ほらね、そうやって、その優しい毒で麻痺したかのように、あたしは何も考えられなくなる。
まるで、矢のようにあたしの心臓を貫くのね。
声を聞く度に、苦しくなる。顔を見る度に切なくなる。
どうしたら、治るのかしら。解毒剤なんてあるのかしら。
ううん、って頭を振って、あたしは何もなかったように笑顔を作っていた。何時の間にか、そんな顔を作れることに、あたし自身驚いていたけれど。

今はまだ、この関係に身を委ねて居たいけれど、春になったらどうなっているのだろう。
それすらも見えない、考えられない未来だったけれど、その突破口なんていう物の、切っ掛けを与えたのが、あの先生だったとは、まだ、あたしもおっさんもこの時は知らないで居た。

それは、この校庭が白く染まり、春色に染まった季節から始まる物語だった。






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