優しい、毒

優しい、毒1 優しい、毒3 TEXT


レイヴン




「ジュディスちゃん、この間の事だけど、何の話してたの?リタっちと」

本校舎の一角。保健室なんていうある意味、俺のサボリ場所にして口煩い校長達からの避難場所から見える光景は、寒々しい限り。
鉛色の空は、曇天。残り僅かになった枯れ葉が風に煽られる季節。
シュンシュンと湧き上がる音は、円筒形のストーブの上に置かれたヤカンからの蒸気。

「この間?」

芳醇な香りを漂わせながら、コーヒーカップを手にした見目麗しい同僚は、何のことかしら?と、小首を傾げながら、知らぬ存ぜぬを押し通すつもりらしい。
内心、よく言うわ、あなたが爆弾投下してくれたんじゃない、と呆れながらも、その顔色一つ変えない小賢しさというと語弊だけど、そういう駆け引きをする頭の良さに称賛を送りたくなる。
本当は、分かってるんだろうなあ。
俺がやや眉間に剣呑な表情を少しばかり浮かべていたもんだから、余計に甚振ろうっていう魂胆が見え見えですよ。

「はい。気をつけて、熱いから」
「どうも」

俺の分を受け取りながら、一口、啜るのは、眠気も吹っ飛ぶような苦みを浮かべた色。彼女──俺の目前に居る女性ではなく、俺が気掛かりな女生徒のことだけど──が、苦手な液体は、どこか、そんな最近の彼女のようにも思えた。
気紛れで捻くれてる上に、この目の前にいる美女と同様、機転も効く頭の良さもある。
そんな、彼女が最近、情緒不安定気味。
そうさねえ。今日みたいな空の色。今にも冷たい雨でも降り出しそうな雲行きの怪しさを漂わせている。

それは、一週間前から、だった。それに気がつかない、俺でも無かった。
ジュディスちゃんと立ち話をしてたであろう彼女──リタっち。
ただ、その時は、単なる世間話だろうと思っていたけどさ、その後、夕飯に誘った時から、どこか苦しげな笑みを浮かべるようになっていた。最近のリタっちといえば、ぼんやりしていたかと思えば、急に癇癪を起したのかのように、苛立っては、その結果、塞ぎこんでいる。何か自分でも持て余し気味の気持ちの持って行き場を探しているようにも思えた。
昨日だって、そうだった。
俺が何気なく話し掛けたけれど、薄ぼんやりとした反応しか返ってこない。
駅まで送るよなんていえば、妙に焦っている素振り。その癖、駅での別れ際。

『そんじゃ、おっさんは向こうだけど気ぃ付けて帰るのよ?』
『言われなくなって、分かってるわよ』
『寒くなるんだから、早く帰りなさい』
『寒がりはおっさんでしょ』

何時ものように会話してたつもり。でも、俺が背を見せた途端、呼び止める声。
振り返れば、大きな瞳が、必死に訴えている。
行かないで、帰らないで、と。

『お、おっさん』
『どったの?何か忘れ物でもした?』
『な、なんでもないわよっ。あんたこそ早く帰りなさいって!』
『え?ああ、うん。今日はもうこのまま……俺も帰るけど?』
『そ、それだけだから……』

何だか、怒鳴られるようなことしたっけ?と思うような口調。少し、驚いてそんな風に返答していたら、リタっちは、カバンをぎゅと握りしめて俯く顔は少し赤くなっていたけれど。
ああ、なんだ。明日までの時間が、長くなるものね。一人きりの夜の時間が色んなもの思い出させているのかね。寂しさやら、いろんなその心の中で渦巻いている感情を一人きりで抱え込んでるんだね。
でも、どうしたんだろうね。この頃、こんな風にあからさまな反応を示してくる。
こんな雰囲気にさせるつもりはなかった。リタっちの髪をグシャグシャに撫でては、笑っていた。

『うん。じゃあ、またね。また、明日。バイバイ、リタっち』
『……さよなら』

面を上げた時、そこに居たのはリタっちじゃない女の子。何かに麻痺したかのように、強張らせた笑顔。似合わない、大人のような仮面をつけた笑顔だった。
愛想笑いなんて器用な真似が出来る女の子じゃない。不器用すぎるから、その想いの欠片が手に取るように分かる。

ぼんやりと、そんな事を窓辺に佇んでは思い出していた。
風がきついね。本当に冬が近い。いや、もう暦の上では冬だから、なんだろう。
枯れ葉が舞っては、どこかに飛ばされてゆく。

「リタっちに何か言ったの?」
「……さあ、何も?」

俺の傍にある椅子に座っているジュディスちゃんは、あくまでも誤魔化すつもりなのか、思惑の読めない笑みを得意とするこの美人保健教諭は赤い唇を噤んだまま。

「いや、別に良いんだけど、ね」
「嘘。本当は気になって仕方ないんでしょ?私が、彼女に何を言ったのかって」

降参する振りして誘導尋問するつもりだったけれど、それだって彼女はお見通しだとばかりに意味ありげな微笑みを浮かべている。
怖い相手だわ。
カツン、とコーヒーカップを事務用デスクの上に置くと、俺を真っ直ぐに見つめ返して来てた。

「……そうね。あなたを見ていると、イライラするの」

俺は、言葉を失うしかない。だんまりを決める訳じゃないけど、唐突過ぎる言葉は、存外に彼女のペースに引き込まれそうだった。曖昧な笑みを浮かべた俺達。駆け引きっていうわりには、勝負は見えてるか。全く油断出来ない人だこと。
まあ、それだから俺も軽口を叩ける、言葉遊びの出来る相手だと認めているんだけどね。
ただ、本当に俺自身、この女性を怒らすようなことはしていないし、言った記憶も毛頭ない。

「酷いなあ。イライラって俺様、ジュディスちゃんに何もしてないじゃない」

ふざけた口調で、そうおどけて見ても、さて、どう出るんだろう。

「私、にはね」

軽くウィンクして見せる辺り、侮れなさを痛感。ああ、そういう事。でも、それだって心当たりないのよ?本当に、さ。
俺を射抜くような視線は、やっぱり怒っている節がありあり。その癖、赤い唇は笑っているかのように口角を上げているんだもの。
ただ、乾いた声しか出なかった。
彼女の怒りは、俺に向けられている。そして、その原因を作ったのは俺。誰に対してだって?それはリタっちに対して。
そんな事をジュディスちゃんは見抜いている。でも、本当に心当たりはないんだよね。

「……リタっちには、していると?」
「そう。真綿で首を絞める様な事、してるじゃない。特別扱いしてる癖に、同じような優しさを他人に見せつけて」
「えっと、それは……」
「そうでしょ?手元に置いておきたいのなら、もう少し、周りを見なさいっていう事よ。残酷すぎるのよ。彼女は、そんな子供でもなければ大人でも無いわ」
「……」

俺の態度が思わせぶりだっていうのか。そんなつもりないけど、いや、リタっちにはそう見えてるのか。
ほんと、めんどくさいね。億劫だね。それこそ、ジュディスちゃんみたいな相手なら楽だったかもね。
仕方なしに、もう一口、コーヒーを飲んでいた。うん。分かってるんだ。リタっちが俺を見ている事。
そして、ジュディスちゃんがいうように、子供でもなく大人でも無い、不可解過ぎる年頃だって言うことの意味も、ね。

最初は、俺のことなんて、ちょっと軽い教師程度。いや、思いっきり軽薄してたと思ってた。俺も、そんな感じ。ただ、気が強くて、ちょいとからかうと理論立てた反論の仕方だとか、子供っぽい外見に似合わず大人びた思考をするとこ。変わった子だと思って、何気なく見ている内に気が付かされていた。

今日みたいに寂しげな空の色と同じ瞳をする時がある。

親友と楽しげに笑い転げていると思えば、太陽を、少しだけ邪魔する雲のせいで陰るような瞬間を見せていた。
それが、どんなものか俺にはすぐに分かっていた。リタっちが抱えている寂しさみたいなものだった。
意地っ張りな癖に寂しがり屋。素直じゃない癖に優しい子だから。
相反する性格を持ち合わせているリタっちだから、何だかほっとけなくて部活を理由に俺の手元に置いておくような真似をしている。
時が移ろいをみせ、季節が変わる都度にその想いは明確な色をなして来る。そう、惹かれてた。
小柄な肢体だけど、それも僅かに伸びて、鳶色の髪すらも伸ばし始めている。
少女期から大人に羽化の準備を始めたかのように。
ふわり、と長くなった髪が揺れる度に、俺の心まで小さなさざ波を起こすような表情を見せけてくるんだもの。それが、どんな意味かって?言われるでもなく自覚してた。
生徒でもなく、たった一人の女の子として。好きだから手元に置こうとしていた。
まだ飛ぶ事も出来ないか弱いヒナを保護したけれど、何時しか成長しては、空に向かって羽ばたこうとしているのに、俺は、俺なんていう籠の中に押し込めようとしている。優しさなんていう餌で釣りながら、俺自身が、その綺麗な瞳の色を見ていたいっていう独占欲から、羽をもぎ取ろうとしていた。

そんなどこかずるさを見せている俺をジュディスちゃんは見咎めている。

教職なんていう責務からもだろうけど、ほんと、ジュディスちゃん自身はどう思ってるんだろ。
二十歳も年齢差があれば、教師と生徒なんていう関係を飛び越えようとしている彼女。そして、それを知りながらもまだ早いと曖昧な態度を示している、俺。

「……って、俺、リタっちに特別な感情は、」
「持ってないとは言わせないわ」
「どうだろうね。でもさ、ほっとけないでしょ?あんな我儘娘」
「それは、同意よ」

くすっと笑っては、一瞬だけ優しい笑顔を見せた。ああ、なんだ。ジュディスちゃんも心配なんだろうね。リタっちの生い立ちっていうんじゃないけれど、家庭環境。ちょいと複雑で、ジュディスちゃんもそれを気にしている素振りは何度か見せていた。その辺はやっぱり教師なんていう責任感なんだろう。でも、それは、本当に束の間の笑み。抑えた声質は、一段と低くなっている。

「あなたが、私や他の生徒見せる物、全てが今の彼女にとっては毒なのよ」
「随分と手厳しいご意見ありがとう」

ほんと、降参するしかない。
やきもち妬かせたい訳じゃないんだけどさ。俺自身、どこかで迷っている。後1年、リタっちが卒業したらと思いながらも、微妙な距離をどう扱えばいいのかってね。だから、そんな揺らぎをこの美人さんは責めているんだろうな。
案外、この手の事、臆病なのよ。俺様。それぐらい真剣な相手だから。それぐらい見逃してよ。

「ついでに、噂、訂正してあげたから」
「噂?」
「あら、知らなかったの?」
「何を?」
「私達、そう言う噂あるのよ?まあ、こうやって保健室をサボる口実にしてるぐらいなんだもの。煙が立つのも仕方ないんじゃなくて?おじさま」

まあ、その噂なら知っていた。生徒達から聞かれるたびに、俺も曖昧に誤魔化していたけれど、それだってリタっちの耳に届いていたのかもしれないね。そうでしたか。そんな要因やら原因やら色々と埃の出る身体だから、怒っていたんだろうな。
引っ掻き回すつもりもなかったけれど、何時の間にか俺が引っ掻き回していた。リタっちの気持ち。
情緒不安定にさせていたのは、俺自身。
悪さをする訳じゃなく、分け与えていたつもりが、彼女にとっては毒となっていた。
優しい、毒として、リタっちを苦しめている。随分と罪作りな男だこと。

「……その辺は考慮します」
「そうね、重々慎重に行動は慎んでもらいたいものだわ」

合点がいったとばかりに、神妙な顔付きになった俺。そんな、俺に漸く本心からの笑みを浮かべたジュディスちゃんは、ほら、さっさと行けとばかりに時計をちらりと見ていた。
もうじき、部活動の時刻だもんね。

「はーい。じゃあ、退散しますか」

コーヒー、ごちそうさまと言い残して保健室を出て行こうとした時、その動きを止められる。

「あなたに彼女のこと、任せても大丈夫?悲しませるような事しないかしら?」

彼女にしては珍しくストレートな物言いに、俺自身が訝しむような表情を浮かべていたけれど、そうだねえ。この一年見守っていてよ。答えはそれからでも遅くないでしょ。
まずは、教師と生徒なんていう立場を卒業しないと、話は進まないから。
ゆっくりでいいよね。相手は何にも知らない女の子。真っ白で、まっさらな子だもの。

「取りあえずは、その、もっと特別扱いしておくわ。不安がらないように、ね」
「そうなの。それなら良いわ」

俺はジュディスちゃんの顔は見ずに、そのまま、ドアを閉めていた。
長い廊下を歩きながら、本当に面倒な相手に惚れてしまったなと自覚するしかないだろう。
寄りによって、あの、リタっちだもんねえ。年齢差だの社会的道義だの、俺達を取り囲む色んなものよりも、その性格そのものに難有りなんだもの。
いや、本当の事言うとさ、リタっちぐらい純粋な子もいないよ。それぐらいに厄介で手ごわい相手。
だから、俺だって慎重になっていたのに。

「後一年か……」

立ち止まっては、今にも泣き出しそうな空を見上げていた。
リタっちが、この場所から居なくなる時、俺の隣に立っていてくれたらな、なんて思うけれど、さてどうやってあの気紛れな女子生徒を甘やかせたらいいんだろうかねえ。
今、以上に特別だなんて言った所で、案が浮かばない。
その辺だって教えてくれたらいいのにさ。

「卒業式の時、一世一代の口説き文句、考えないとね」

ただね、そうやって考えていたのに、ジュディスちゃんはし掛けて来てくれた。それも、この僅か半年も経たない内に。
今にして思えば、ほんと、運命なんていう奴を操る女神みたいなもんだろうかね、あの美人先生、そして、リタっち自身も。




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